解決済み
愚痴です 某専門資格で働いてるんですが、何故かずっとその分野の研究も携わっていて、勢いで修士まで修了してしまいました。正直研究テーマは大したもんじゃありません。ギリギリ修了って感じです。 なのに、学会誌に投稿したら採択されました。これも賛否両論合った中でなんとか、って感じみたいです。更に、なんかその筋のハイソな学会で発表する機会をありがたくも頂戴し、発表しましたが、皆さんの生暖かーい目線がとても痛い感じの発表になりました。 なんというか、こんなことばっかりやってると変に自己承認欲求ばかり高くなって、「努力しなくちゃ」って強迫観念がものすごいんですよね。ちなみに上記の活動をする中で専門資格の中でも上位の資格を取得しました。なんつーか、いつまで頑張らなきゃいけないんだろう、ただ、「今日のご飯が美味しかった」「息子・娘と遊んで楽しかった」で心から満足する日は来るのかなーなんて よく思うんですよね。 ちなみに今はその分野の教官になる試験の勉強中だったりします。 まあ、社会貢献はかなり実感できる分野なので、自分の努力も無駄ではないんだろうと思うんですが・・ 心の平穏はいつ訪れるんですかね・・
更に博士号も視野に入れてたりする自分が怖いです
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自分を追い詰めることは精神に良くないですよ。 社内でメンタルヘルスのお仕事もしているが相談に来られる人たちで、自分の努力が報われないことを嘆く人や、できる限りの努力をしてみたが解決の糸口が見つからない、と苦しみを訴える人が多い。 努力して、あと一息というときに思いがけない不運が生じる。あるいは、コツコツと努力を続けているのに誰も認めてくれない。それに対して、努力もせずに派手な事をする人に皆は注目したりほめそやしたりする。 確かにいくら努力しても報われないことか、不運としか言いようがないとか、そのような人が居られることは事実で、まったくお気の毒なことである。あるいは、努力しても努力しても解決の糸口さえ見つからぬときもある。しかし、翻って考えてみると、「努力すればうまくゆく」などというのが本当に正しのか、なぜそうなるのかわからなくなってくる。私は来談される沢山の人達のお話を聞いていて、人間が自分の努力によって、何でも解決できる方がおかしいのではないか、と思いはじめた。 このように考えると気が付いたことは、努力しても解決がないと嘆く人は、そのために、「自分の努力が足りないからだ」と不必要に自分を責めたり、「こんなに努力しても解決しないのは、○○が悪いからだ」と考え、他人や組織やいろんなものを憎んでみたり、要するに自分の苦しみを倍増させている、ということである。「努力によって、ものごとは解決する」という考えの為に、自らを不必要に苦しめているのではなかろうか。 こんなことを考えていたとき、表題の言葉にであった。これは実はクリシュナムルチの言葉である。クリシュナムルチは近年に亡くなったインド生まれの宗教家・哲学者である。深い洞察に満ちた言葉を多く残しているが、そのなかで、「ものごとは努力によって解決しない」というのは、私のすきな言葉である。会社の為に自分の為に家族の為にできる限りの努力をした、などという人に会うと、この人たちは、解決するはずのない努力をし続けることによって、何かの免罪符にしているのではないかと、思わされることがある。それは、何の努力もしないで、ただそこにいる、ということが恐ろしいばかりに、努力の中に逃げ込んでいるのではないか、と感じられるのである。努力などせずに、子供のために父として母として、そこにいること、これはすごく難しいことだ。それよりは、飛行機に乗って海外旅行などに行く方がよほど楽である。 あるいは、こんなことも考えられる。「努力によってものごとは解決する」と単純に考える人は、「解決」の方に早く目が行きすぎて、努力の方に身が入らないのである。人生では、このようなミスをしていても気づかずに、努力しても報われないなどと嘆くことになる。表題の言葉が随分と好きになったので、よく口走っていたら、「それにしては、あなたはよく努力するじゃないの」と言われたことがある。それに対して、私は「努力によってものごとは解決しない、とよくわかっているのだけれど、私には努力ぐらいしかすることがないので、やらせて頂いている」と答えたことがある。他にすることがないのでやっているが、別に解決を確信しているのではないのだ。 努力によってものごとは解決しない、と知って、一切の努力を放棄して平静でいられる人は、これは素晴らしくて、何の言うこともない。努力とか解決とかいう次元は、この人にとって関心事ではない。しかし、われわれ凡人は、努力を放棄して平静でなどいられない。いらいらしたり、そわそわしたり近所迷惑なことである。そんな状態に陥るくらいなら、努力でもしている方が、まだしもましである。それにひょっとして解決でも訪れてきたら、嬉しさこの上なしである。こう考えて、まあ努力でもさせて頂こうかとやっていると、解決が簡単に訪れないからといって、怒る気も嘆く気も起ってこない。 解決などというのは、しょせん、あちらから来るものだから、そんなことを「目標」にせずに、せいぜい努力でもさせて頂くというのが丁度いいようである。
「今日のご飯が美味しかった」「息子・娘と遊んで楽しかった」で心から満足する日は、来ないと思います。 充実した日々をおくっていれば、今が楽しく、将来設計や、遊びの予定が楽しみになります。 子供が成長して家から出た時に、写真等で大きなイベントを思い出すかもしれませんが、しょせん、その程度だと思います。 チャンスをつかみ取ること、時代の流れに上手く乗ることが重要に思います。 博士号取得のチャンスがあれば、是非、取得しておくことが良いでしょう。 「博士取得は、足の裏についた飯粒だ」と指導教官から教えてもらいました。 「ある仕事に従事するには、取らないわけにはいかないが、取ったからといって特に大きく変わることは無いよ」ということだと思います。 今の仕事が何かによりますが、教官の方が自分を生かせるのか、待遇が良くなるのかを考えておくことが重要に思います。 心の平穏ですが、どの時期でも、良いこともあれば、悩みもあるように思います。 退職したら仕事から解放されますが、それはそれで、やりがいを別に見出す必要が出てくるように思います。
来ないんじゃない? 満足しない人はしないし。 資格もよく分からんが、しんりけいや、療法士けいなら。。。
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