解決済み
ずいぶん以前に施工図を書く業務をおこなっていました。チーフでしたが、部下のほとんどは使い物にならない連中でした。意匠を理解出来ない、施工方法が理解出来ない、コスト管理が出来ないなど、問題が多く、こちらが手を入れないと納品出来ませんでした。その当時建材屋でしたが、出張に行くとゼネコンから躯体図やタイル割りなど、本来の業務と関係のない図面を書かされました。意匠設計屋になってからでも食えないので、スーパーゼネコンの現業設計やホーローパネルやの施工図、加工図のアルバイトをしたものです。職人や加工業者など十分理解出来ていない人にも判る表現力、施工性、仕上精度、コストパーフォーマンスなど技術的には大変なのに、それに見合う対価、評価は望めません。今はどうか知りませんがそれに対応出来る高学歴の人間はいく職ではありませんでした。以前の会社は間違って行ったみたいで、面接しか受けなかったので、そこの入社試験は面接だけかと思ったら、自分以外は試験があったとの事です。今は意匠設計、都市計画、開発設計、店舗設計などしています。 よかったなと思うのは、全てのスーパーゼネコンや大手や著名設計事務所と一緒に仕事出来た事により、どんな用途の意匠設計も判り、出来るようになった事です。 その会社、退職してから泣きつかれてした仕事で、世界的に有名なものでは、ノーマンフォスター.アソシェーションの香港上海銀行の設備ゾーンの仕事です。元請けは竹中工務店です。 高校3年の就職が内定した後、実習に来いと言われて書いたものに、大阪万博のソビエト館、村野藤吾先生の近鉄百貨店、上本町店があります。革命前のIJPC(イラン.ジャパン.ペトロケミカル)、池袋、サンシャイン60や黒川紀章の東大寺学園も書きました。大阪梅田のマルビルは計画段階から、フジタ工業(当時)のプロジェクトチームに出向し、基本設計の計画をしました。 している時は楽しいとは思わなかったし、魅力のない仕事と思っていましたし、今も思っていますが、そのおかげで技術力は上がったと思います。
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