解決済み
誰もまわりに私を理解してくれる人がいなくて苦しいです最近私は人はなんで早起きや勉強や風呂に入ったり、なんでめんどくさいことをするのかなって思いました。 そういうことをするには何か目的や理由があるだろうと思って 友達に「なんのために人は生きているのか」を聞きました でも友達もわからないと言ったので宿題である日記にそのことを書いて先生に質問しました。 その日の昼休みに先生に呼ばれて、行ったら先生はスクールカウンセラーの先生を探しているようでした もしや。。。と思って先生に日記のことか聞いてみたら「当たり前や」と思いました 先生は私がなにか思い悩んでいるのかと思ったらしいです それは心配してくれてありがたいのですがわたしはそういうつもりじゃなかったので大丈夫だといいました それでも心配だったのかなんかいも問いただされてやっとなんでもなかったと信じてもらえました。 (本当に信じていたかわかりませんが。) そのときに私はただの好奇心で本当に気になったからきいていたんですが 「人は何のために生きているか」聞いてはいけない感じがしました(その先生を見ていて) 自分の好奇心がつぶされた感じがしました そのあともいろいろ考えていて、 べつに悩んでるような書き方をしてなかったのに悩んでいるようにとらわれて こういうことになったんだと思うと ちょっと人とは違ったことを思うだけで攻められるような感じがして だれにも理解されなくて苦しかったです なんか決めつけられているようで嫌でした。 わがままなことかもしれないけどこんな風に思われるのは変だと思います 人と違うだけでおかしいと決めつけられるなんて嫌です 同じような経験をした人やこれを理解してくれる人はいませんか 長文&文章力なくてすみません
その先生は同じ学年の先生にもわたしの日記を見せたそうで どの先生も心配していたそうです 書きもらしていたので補足させていただきました あたたかい回答をありがとうございます
184閲覧
逆に質問しますが、その先生の年齢はいくつぐらいの人でしょうか? というのは、貴殿の一連の事象には様々な要素が絡み合っています。 個人主観で申し訳ありませんが、順を追って回答させていただきます。 ①「なんのために人は生きているのか」 ⇒まずこの問題の内容そのものを回答します。 回答:「生まれてきたから生きている」or「死にたくないから生きている」 のどちらかだと思います。 まず、人間が生まれるときは母親のお腹の中から生まれてきます。 当然その段階では、その赤ん坊の意志なんてありません。 あったとしても誰もわかりません。 そして生まれて来るのは、両親の行為によるもので、自発的に生まれること なんてできません。 従って、「この為に生きるんだ」というものはないです。 よく一般的には、「社会に貢献するため」とか、「自分の存在を残すため」 とか言われますが、はっきり言って答えがないからそのように設定するしかないからです。 そうしなければ無気力になったり、現在の社会を維持できなくなる可能性があります。 ②「なんのために人は生きているのか」 ⇒次に、この質問に対する感情というか、興味についてですが、 この手の疑問や質問は自問自答している人を含め、大半の人が一度は 考えていることではないでしょうか。 問題は、そのことについて、どれだけ深く考えるか、でしょう。 その場で答えを出す人もいれば、一晩たったら忘れていた、 などという人もいるでしょう。 ですから、疑問を持つこと自体は全く悪いことではないですし、 むしろ良い事だと思います。 ③教諭の対応 ⇒これ一番難しいところです。はっきり言って正解はないかもしれません。 まず、この質問に対して否定的な応対をするということは、 以下のいずれかに該当すると思われます。 A:もし本当に精神的病である場合、早い段階で専門医にエスカレーションしなければ、 症状が悪化する可能性がある。 B:教諭自身にも答えがわからず、事勿れ主義。 C:教諭の自己保身のための事勿れ主義 D:学校・教諭の立場上の措置。これは、精神的要素を多分に絡んでいるので、 下手すれば、保護者などからカルト宗教の洗脳と言われかねないという理由です。 そして、学校とは一定の質と量の学問を学び、社会に適合する(雇用される側) の人間形成を行う必要があることから、危険分子と看做す。 昔ならその教諭と生徒が一対一で心ゆくまで議論 していたでしょうが、最近はあまり個人的な部分に突っ込むと、 後に思わぬ方向から問題視される危険性があるので難しい環境です。 ですので、教諭の対応としては、形式上は問題ないかもしれません。 個人的にはもう少し配慮があってもいい気がします。 最後に総論となりますが、個人に芽生える感情については、正しいも間違いもありません。 これは日本国憲法でも保障されていますし、そもそも人間のもつ感情を押さえ込むことは 不可能です。 私自身も、貴殿と同じ疑問にぶち当たった時があります。 一度目は高校生の時。 二度目は社会人になってからです。 一度目はかなり深く考え込みました。しかし、自分の感情と その段階の知識だけで自問自答するだけでしたので、 苦しんだだけでした。そしていつの間にか忘れていました。 二度目は、社会人になってからですが、この時はホント唖然としました。 この時には、大学で色々な知識と教養を習得した後でしたし、 日本だけでなく世界の事情も色々と知った上でしたから、 ほぼ最終的な回答でした。まぁその回答の一部が上記に記したことですが… 人間は何らかの社会に属さなければ生きていくことが難しいです。 ですので、その社会上の秩序やルールを守っていかなければなりません。 その上では、正しい・間違いといったことは存在しますが、 人間である前に生物と考えたときに、自分の持つ感情について、 その中身を分かりもせず、また分かろうともせずに否定することはできませんし、 否定することは、否定する人間が愚かということを露呈しているに等しいです。 何かを決め付けるには、客観的な証拠や材料が必要なのです。 このことからも、貴殿の感情(嫌な気分になるところも含めて)は全くおかしいことではなく、 むしろ当たり前です。 以上、長文&乱文失礼しました。 (番外編) 確認もせず、証拠も材料もなく、他人を決めつけ発言する、または行動を取る。 そしてこれに対して憤慨する。 ↑ これすごく大事なことです。場合によっては法に触れます。 そのことを分かっていない無責任な発言者が多すぎる。 教員や警察・検察などは顕著です。公務員に多いかもしれません。 私はこれが理解・納得できず、工業高校から文系大学を受験し、 法学部に入りました。そして現在法律家の端くれになりました。 自分の発言が、どれほどのことか身をもって分からせたくなったからです。 ある意味合法的な復讐かもしれません。 ですが、生きる目的を見つけることができました。 皮肉かもしれませんね。
人と違う、それは一つの特権です。 変人扱いされるのは嫌ですね。 そうゆう時期が来る人もいますし、こない人もいます、 その疑問を口に出せる人もいるし、出さないで心にしまっている人もいます。 質問者様は、周りに投げ掛けただけのコトです。 さて、なんで生きているのか。 それは、これから質問者様が色んなコトを経験しながら答えを出してください。その答えも人それぞれです。 質問者に教えてくれる方々も歩んできた人生や、知識、価値観で教えてくれると思いますが、どう受け止めるかも質問者様次第となります。 私は年老いた時にいい人生だったな~って永眠したいと思ってます。ということは、楽しいコトも嬉しいコトも増やさないと。できる経験は色々していきたい。 いい人生だったな…って幸せだったから思えるんだろうなと思っているので、やっぱり『幸せを感じる』コトは続けていきたいです。 先生も困ったでしょうね?まだ答えが出ていない段階だから答えようがない。間違ったコトも教えられないし、どうしたらいいのかわからなくて、聞かないで欲しいオーラを出したのかと(笑) 質問者様は好奇心から気になっただけだったとしても、その先生からしたらそう考えた時、スゴく悩んでいたときだったから質問者様も悩みがあると思ったのかもしれません。 優しい先生じゃないですか(笑) 好奇心は持ったままでいてください。大切なものです。 身近にわかってくれる人がいなくても世の中たくさんの人がいるから一人はいると思いますよ。同じ学校の中にも話してないけど考えてる子がいるかもしれませんしね~ 質問者様がカウンセラーになったら、質問者様の様な子に親身になって話せるかもしれないですね。ふと思ったので書いちゃいました。 なんでだろう?と考えるのを忘れていく人もいます、そのままでいてください。
その気持ちわかりますよ。私も小学生の時に「学校にいるのが楽しくない」と書いて呼ばれたことがあります。 友達と一緒に遊ぶ以外とくに楽しいと思えることがなく書いたことなのにすごく問いただされて嫌な思いをしたことがあります。 学年が上がるにつれて男女に境界線ができグループができそのうち悪口を言うようになる。その過程をみるのがうんざりするほどいやだったのが理由の一つでした。心配してないのに誰かがケガをしただけで群がって「大丈夫?大丈夫?」と言う女子(大人でもある事ですが)「心配してあげている私やさしい」と言っているようで嫌いでしたねー。 自問自答して「はたして私がみている世界は本当に生きているのか」「私がみているものは実は私にしか見えていない世界なのではないか」と思ったこともあります(いまだにぬぐいきれないときもある)。 高校の時に先生に聞いたことがあります、すると「昔はそう思ってたけど毎日がいそがしくて忘れてしまう」という回答にさみしいなーと思いました。 今は子供が生まれてほとんど子と一緒に家にいるだけ。 家事をして買い物行って、暇だから児童センターや親戚の家で他愛もない会話をして・・・ 毎日同じことでいやだなーなんて考えますが、子の成長は早い物で数か月で寝返りしたり、ハイハイしたりつかまり立ちしたりするものですよ それと同じく自分も歳とってるんだなーと思いふと、小学生の時に悩んでいた「自分はなぜ生まれ生きているのか」を思い出し言えるとすれば、「小さい幸せのために生きている」と今の私なら言います。 それはまだわからない自分が幸せだなーと思えるその日のために生きて生活しているんだと思いますよ。 補足 このことを真面目に相談するとネットだと大抵の人が「メンヘラ」とか「病気だ」と叩く人がいます。 ネットでもリアルでも自分の本当に悩んでいる(本気)の質問に対してこのようにいう人は遺憾ですね。 友達が「わからない」とちゃんと答えてくれたのはちゃんと質問者さんの事を考えて本気で悩んでだした答えだと思います。いいお友達ですね。
質問者さんは、中学生か高校生ぐらいかな。 私も同じように考えていた時期がありました。 私は、人に質問するのではなく、いろんな本を読んで自分なりに調べました。 そういう質問は、おっしゃるとおり偏見ですが、 質問をすることで「変な人」と思われるのは当然かもしれません。 大人になってもこれといった数学みたいな答えは見つからないでしょう。 親に聞いても、納得する答えなんてもらえないでしょう。 哲学的なことですから、自問自答の繰り返しであり、 最終的な答えは自分が定義できるものです。 それが、あなたの価値観や人格を作り出します。 先生の対応も、悲しいですね。。。 教師は勉強だけ教えればいいという訳ではないと思いますが、 生徒の心に寄り添う余裕がない方なのでしょうか・・・ 「ソフィーの世界」という本、おすすめです。 中学生前後から読める、哲学本です。 「理解してくれる人がいない」のは悲しいですね。 親友も先生も、所詮、他人ですから、最終的に何があっても味方になってくれるのは親ぐらいだと思います。 誰かに自分のことを理解してもらいたい年齢だと思いますが、 まずは自分で考え、調べ、悩み、自分なりの答えを見つけてみてはいかがでしょうか。 そのことがきっとあなたを成長させることと思います。
< 質問に関する求人 >
スクールカウンセラー(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る