解決済み
西岡常一「木に学べ」を読まれた方に質問です。 あの本を読んでどうかんじられましたか?? 私はあの本を読むまで、宮大工があんなに尊い仕事だとは思ってもいませんでした。大工だけれども、民家は建てない。お金のためじゃなく純粋に宮を建てることに命を懸けている事、仕事に対する考え方が少し変わりました。 宮を作る上で大切な木々。木の特性後先考えずに、ただ木を刈ることで営利を求めようとしている現代、西岡棟梁は「木を買うなら山をかえ」 と、自然に逆らわずに一緒に生きる事を考え、飛鳥時代の建築を守ろうとしてきました。 この本を読んで感じたのは、私たちは進化なんかしていない。ただ我が儘に生きているだけではないのだろうかと感じました。安くて便利なものを追求するあまり、無責任な物を産み、本当に良いものを削除していっているのではないだろうかと考えさせられました。
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あの本で私が最も感じたのもそこですね。 現代は発展とか発達なんて言ってるけど、全然そうじゃないということ。 むしろ、あの宮大工の仕事のように、人間は相当退行している。 技術というのは人の業なんですね。だから一度喪われると取り戻すことが相当大変になる。あの西岡棟梁でさえ、鑓鉋の使い方がわからなくなっている。もう法隆寺のような偉大な建築物は出来ないんですね。 鉄の技術もそう。日本は明治以降に洋鉄に切り替わってしまったから、錆びない鉄というものが作れなくなってしまった。今のビル建築に使われる鉄筋というものが最初からことごとく錆びているのを見て、現代という時代を感じてしまいます。 便利というのは安っぽいものなんです。便利というのはそれを使わない人間が一時的に感ずるだけのもの。それがあるのが当たり前になってしまうと、もう便利ということではなくなり、人間の退行が始まる。 人類は洋の東西を問わず、便利さなんてものを追求していなかったんですね。だから近代の産業革命までは古代とほとんど同じ様式で生活していた。 これをもって近代以降の人間は昔の人間がバカだったと言うわけだけど、そんなことがあるわけがない。それは昔の人の書いたものを読めばすぐにわかる。昔の人が創ったものが証明している。 今は便利というものが価値観になってしまっているだけなんです。昔の人は違う価値観で生きていたということ。 宮大工は深い信仰心によって生きていたんですね。だから偉大な建物が出来た。人間は中心軸に何を据えるのかによって全く違う生き方になる。 この地震大国にありながら、五重塔で倒れたものは一つも無いのだと。これがどれだけスゴイことなのか。 1300年後にしっかりとある建築物を作る技術。これは過去に1000年以上前からそういう技術があったということを示している。どうやればいいのかがわかっていたのだということ。 そういう技術を喪って尚現代が優れていると言う意味がわからん。 明治以降にどれだけの技術が喪われてしまったか。現代でも日本が誇る世界最高の漁業技術はもう無くなってしまった。数え上げればきりがない。 「息子は大工になりません」と語る西岡棟梁の言葉に涙が流れる。 技術の継承というのは物質的なものではないんですね。魂の継承だから。先人の魂を受け継いで行くことなんです。そこに偉大な価値があるから、人類は連綿と受け継いできた。 数百年後にはこの時代は大暗黒時代と呼ばれてしまう。断絶によって全てを喪った時代なんですね。 悲しいなぁ。
なるほど:6
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