最近は「脚本も書ける」映画監督も多いですが、たしかに物語をイチから創作した「脚本家」はもっと(日本では)評価されるべきだとは思います。 日本は特に脚本家に対する評価が低いです。 なぜかと言えば、日本の映画では台本があっても、撮影現場で「違う」と監督が思えば、すぐに「脚本」を書き直し、物語を変えてしまうからだと思います。 つまり日本では特に【「脚本」を「映画のたたき台」】としか考えてないのだと思います。 ハリウッドのようにある程度「脚本家」の権利が守られている所での映画制作では、 映画の撮影現場に「脚本家」がいて、撮影の進行中で監督が「違う」と思って台本を書き直して撮影をしようと思っても、「脚本家に相談してok」かどうかを判断してもらう事があります。(当然、日本の撮影現場には脚本家はいません) つまりイチから物語を作った脚本家が、そのシーンのその意味を一番理解しているし、「脚本」だって「作品」であるから、「その(脚本家が著作権を持つ?)作品」に敬意を示すためにもそういうシステムをとっているのだと思います。 ただ、とはいえ、結局は「映画は総合芸術」であって、どんなに面白い脚本でも下手な監督がとったら凡作になってしまうし、面白くない脚本でも上手な映画監督が撮ったらある程度のレベルの楽しめる映画にはなりますからね。だから脚本を書かない監督を評価しないわけにはいかないでしょう。 それに、「音楽」「映像」が適切に伴ってるからこそ「総合的な評価」がでる訳で…つまり「面白い」か「面白くない」かの判断が出来る訳ですから。 いくら「この映画面白かったな」と思ったとしても、ソレを「脚本だけのお陰」とはいえないでしょう。 「監督」も「脚本家」も、そのどちらもが自分の仕事を全うしているのであって、その映画を「どっちかだけのお陰で作れた、面白かった」と言うものでもないでしょう。 「監督の作品」でもあり「脚本家の作品」でもある、と思うのが適切だと思います。 そのどっちかが天秤にかけられて「評価すべきは監督!」「いや脚本家だ!」と言う必要はないと思いますし、不毛な議論だと思います。
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