解決済み
24歳男です。 映画監督を目指して某映画専門学校に入学し、もうすぐ卒業する身なのですが卒業後の身の振り方に悩んでおります。専門学校では主に撮影を担当していてそれなりの知識と機材の扱い方は理解しているので、当面のうちは撮影部としてのキャリアを積みながら、シナリオ執筆・自主制作映画の制作をしようと考えているのですが、撮影部として働いていくとしたらバイトでもなんでもとにかく現場に参加し経験を積めばよいのか、映像制作会社、機材レンタル会社に就職すればよいかで悩んでいます。 もし現場に参加する場合でしたら、求人サイトなどを見て応募すればよいのでしょうか?それとも知人の紹介などで参加すればよいのでしょうか? 映像制作会社・機材レンタル会社に就職する場合でしたら、職歴が短期バイトなどしかない自分でも雇ってくれる会社などはありますでしょうか? 教えてください、宜しくお願いします。
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専門学校卒業後、映画機材のレンタル会社に就職した者です。 元松竹のカメラマンだった、卒業制作のための臨時講師の方の紹介で 映画機材のレンタル会社に就職しました。 私は卒業制作には参加せずに、2年生の10月から早期出社していました。 就職した会社はは極めて少人数の社員しかおらず、1名欠員が出たので私が 就職できました。辞めていった先輩も、東映か東宝、どちらか忘れましたが 撮影部に欠員が出来たため、フォースの助手として参入したようです。 正確には分かりませんが、映画製作会社の社員としてではなく、映画監督と いつも一緒に仕事をするスタッフ(例えば黒澤組とか是枝組)の撮影部に 欠員が出来たと言うことだと思います。監督の出身が東映か東宝という ことじゃないでしょうか。東映、東宝などの昔の大手製作会社も、今は 配給しかやっていないようです。 この業界は社内での評価より、外との繋がりが多いほど有利だと思います。 撮影部に欠員ができたときに声をかけて貰えるからです。 どのみち欠員ができないと上には行けないので、外との繋がりを作ると言う 意味ではレンタル会社は良い所だと思います。 デメリットは現場経験が制作会社に比べるとかなり少ないということです。 ただ制作会社の助手に欠員が出た場合などに、臨時に撮影現場に派遣される こともあります。また、自分の助手を抱えていないフリーのカメラマンから 撮影現場に呼ばれることもあります。 私の場合、劇場映画の制作に関わる機会はなかったですが、TV番組、TVCM 産業映画(今で言うプロモーションビデオ、PRビデオ)などの現場に出る ことが出来ました。こればかりは運もあります。 今、機材レンタルの会社と言うと三和映材社などですかね。ただこれも欠員 待ちということになるかも知れません。 専門学校にはプロの講師の方がいると思うのですが、そういう方たちに相談 してみてはどうでしょうか?案外、相談に乗ってもらえると思いますよ。 就職の斡旋は無理だとしても、業界の情報は教えてくれると思います。 私の経験上ですが。 全くの余談で恐縮ですが、私が勤めていた会社の社長の息子も、私とは別の 渋谷のレンタル会社に勤めていました。深沢レンタルと言います。 その会社は、スピルバーグが映画の撮影で使うための特殊なレンズを 組み立てたことで知られています。ハリウッドの事が書かれた著書にも そのことが記載されています。レンタル会社は侮れません。 制作会社の場合は、社員のカメラマンと撮影助手は最小限で、後はフリーを 使っているのではないでしょうか? もちろん会社の規模にもよりますし、 そもそも劇場映画に関わっていない制作会社の方が多いです。 そういった情報を講師の方からもらってください。 ROBOTは最近エンドロールで良く見ますよね。 ただ、制作会社も欠員が出ないと求人はかけないと思います。そんな時に レンタル会社にも声がかかるのだと思います。求人よりも紹介の方が 優先される業界の様です。 今は映像業界は大変な時期だし、私の時とは事情が大きく変わっています。 劇場映画にこだわらず、Net flix などのサブスクのオリジナル作品なども 視野に入れて考えた方が良いと思います。 いずれにしても、最初に講師の方に相談して下さい。 それと、中途半端に経験があるよりは、熟練者か未経験者が好まれます。 どちらを採用するかは、どういう人が辞めて行ったのかによると思います。 覚えたてのころは調子に乗ったり背伸びしたり、あるいは変な癖がついて いたりするので生意気に思われがちです。映画業界は水商売系の仕事ですが、 真面目に努力している人の方が評価されます。バイト経験しかなくても 全然大丈夫です。あとは自分自身の明確なビジョンを持つことだと思います。 最後にですが・・・ 映画監督の是枝裕和氏は知っていると思いますが、彼はテレビマンユニオン という局下の制作会社でドキュメンタリーのディレクターをやっていました。 作品が評価されて、テレビマンユニオンの在籍中に映画監督デビューします。 こういうケースもあるのです。 監督を目指すなら、問題意識を持って自分の作品作りにどう反映させるかを 常に意識することが大切だと思います。
なるほど:1
大昔、まだカチンコ入れが助監督の職人芸だったころです。学生だった僕は、にっかつ調布撮影所でうろうろしていました。美術装飾です。夏目雅子さんもハナ肇さんも松田勇作さんも元気に生きてました。 親分についていれば、映画もテレビドラマも普通にやれました。ギャラは食うだけのわずかです。卒業時には他の親分(装飾プロダクション)からも声がかかりましたが、別業種の会社員になりました。一番の問題は高所恐怖症でした。 結局、カチンコの音が忘れられずに、地方の産業映画プロダクションに入りました。新聞の3行広告の求人を見て。小さいけど数々の受賞歴がありましたが、黒字倒産しました。 プロデューサーをしていたので、業界のことはよくわかりました。どこのプロダクションやどのフリースタッフが何を得意として何をやっていたか、その質はどうかとかね。業界の外からでは絶対にわからない。ある一定のレベルの層を把握していました。PR、TVCM、RCM、テレビ番組。 学生の頃、映画撮影の現場に入ったのは人伝てです。大きなセットの人足作業をコツコツやっていたら、1カ月後には現場付きになりました。美術サードやフォースということで装飾小道具をやりました。 入ってみると、調布撮影所の中には映画学校があり、そこの学生がぞろそろ歩いているのを先輩たちが見て、あんなとこいかなくてもいくらでも現場に出れるのにってみんなが言ってました。ありゃあ、にっかつのドル箱だろって。 みなさん、テレビの連ドラは食っていくためにやっていました。みんな映画を「本編」と呼んでやりたがっていました。 海外ロケなんかが入っていてりして撮影がロングランだと、他の仕事が一切できないので、30歳を越えてついに年収100万超えたぞ、なんて笑ってトラックを運転していた助監督をみて、僕には無理だと思いましたね。当時の大卒初任給は、基本給14万あたり。 生活なんて、そんなこと考えてませんよ。しかも老後とか年金とかありえんでしょ。ジャリタレ殴って示談金払ったり、監督の机ひっくり返したりしてみんな平気で暴れてましたからね。ヤクザが映画を作っていたんですよ。オカマもいたけど、オカマもヤバイの。恐ろしいの。知らないスタッフとは絶対に口を聞けなかった。どこで鉄拳が飛んでくるかわからない。 テレビと映画とはスタッフの質が違うから、さだまさしなんて有名な歌手でも、ペイペイの僕にまで90度のお辞儀をして「お先に失礼します」って、ひとりひとり挨拶していた。気分を害すと何されるかわからないからです。 生意気な付き人がスタジオをうろうろしてると、ひと抱えもあるでかい照明を「あぶないぞーぉぉ」と叫びながらドッシーンって落してましたから。もちろんちょっと距離はおいてましたが、落とす必要なんかなんもないのに。落したら電球割れるって。むちゃくちゃですよ。 今でも僕はずっと生活なんてそう考えたことがない人。いろんな仕事でフリーも長くて、金がない。そのせいか気合勝負のヤクザ感覚がどこかにある。広告や出版などお上品な仕事はやってきたが、お上品ではない。 撮影所にいた頃、助監督や製作進行をやっていた人が、城戸賞を受賞しました。その後、他の作品で監督でデビューしてました。ちょっとした話題作だったとは思います。けっこうな年齢だったと思います。30代後半だったか40越えか。近年では団鬼六の『花と蛇』の何作目かで監督として名前を見ました。何して食ってたんだろうか。演出部なら、助監督や製作の仕事でつなげれてたのでしょう。よくいろいろなテレビドラマの現場で、いろいろな人とかち合ったものです。「あー。どっかでみたことあるな」ってよく言われました。 ちなみに、団鬼六さんとは、僕は2ショットを撮ってもらったことがあります。同じ業界の小説家だったことがあるのです。いかになりふりかまわず食いつないでいたかが、わかるというものでしょう。「純文学」ですけどねえ。不純文学か。 そうそう。撮影所ではあの人を見かけました。『ゆきゆきて神軍』の原一男監督。助監督チーフをやってました。奥様がスクリプター。取り壊しとなった第四スタジオの最後のカットには僕もいました。拍手で締めでしたね。この方ともまた近年友達の輪がありまして。 飲み屋でも、撮影スタッフ、特にプロデューサーがよく行く店なんかがあったりして紹介してもらったりできた。そういう人脈が大事だと思う。 映画の現場にフリーで入るのは、撮影現場がわかるから、脚本を作りやすい部分もあるかもしれない。ああ。撮影の方面の学校なのですね。だったら映画のカット割の分析だってしているでしょう。映画と「垂れ流しテレビ」とは違うのはわかりますよね。映画で使い物になるテレビカメラマンはわずかでしょう。逆もまたしかり。 制作会社の場合は、何をやっている会社かで全然ちがってくる。入る前によくよく作品を見ないとわからないと思う。 近年、映画学校の学生の作品を見せられたことがある。劇場でも公開したというが、恐ろしくヘタクソだった。どうしようもない代物。しかし、編集だけは、どうにもうまいと感じた。おかしいなあ。学生にこんなカット編集ができるとは思えないのだが、と。ほとんどプロ級じゃないかって。だから、編集した奴に言っておいてくれって頼んだ。君は非常にうまい。撮影や演出がヘタクソだから絵や音がなかったと思うけど、そんななかでよく頑張った。君が撮影現場にいたら、作品のできが全然違っていたはずだ、と。そしたらなんと、編集したのはプロである先生だったとのこと。学生がヘタクソだったのでついつい手を出して作り直したのだと。 また、ある企業が自分らで教育ビデオを作った。それを見た。どうも妙な気がする。ヘタクソなんです。とっても。 タラダラまわしてるし。しかし、パーンしながらズームしてカチッと決まっているようなカットがある。ヘッドはフリーだ。このカメラマンの人は、もうちょっと勉強するととても上手になると思うと褒めたら、カメラだけはプロを頼んだとのこと。たぶん幼稚園や結婚式の記録ビデオなんかのカメラマンだろうと思う。カット割はできないが、カメラワークはうまいということ。 長くなってしまったが、そういう違いが見てわかる。そういう目が鍛えられたのは、撮影現場や編集現場にいたせいではないかと思う。僕自身は、演出は簡単なものしかしなかったが、そのようなトータルの現場にいるということはけっこう大事なことかもしれない。撮影所では、編集作業はわからない。誰かにくっついて、じっくりつきあうしかないでしょう。 まともな生活を考えるのなら、大きめの会社に就職するしかないでしょう。 機材屋は知らないが、制作会社は、まともじゃないと思う。半年間休日なしとか、深夜1時2時で終わったら今日は早いなあって。徹夜はあたりまえ。朝がたスタッフが何人も床に倒れたように寢てるなんてことも珍しくなかった。もちろん残業代なんか出ない。ずっとそういう生活をしていた。年末年始やゴールデンウィークなんてずっとなかったねえ。40歳頃にフリーカメラマンなどと兼業でバイト生活をはじめてやっとかな。週休2日なんて60歳すぎてはじめてのこと。 人より抜きん出ようとするのは大変だよ。どんなに楽な仕事してても、兼業の片手間で脚本や自主映画をやっていこうなんて、ほんと大変だから。人と同じ楽しみは諦めなきゃ。 あー。僕は映像や音響系の専門学校でも教えていた時期がある。アマとプロとは違う。学校で覚えたことは、ほとんど通用しないでしょう。でも、映画が好きだということ。その証明になるくらいかな。 ともかくは、どこでもいいからたくさんの人脈を作って現場を見せてもらう。そうしないとクリエイティブ系はわからないと思う。
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