解決済み
福祉課に勤めてもうすぐ2年になる者です。 長文で支離滅裂なことを書いてしまいますが、ご了承ください。先日、養護学校や支援学級に通う児童を対象に、とあるイベントをしました。かれこれ30年以上毎年開催されてるイベントです。 イベント名は「障がい児童○○〜」みたいな感じで、障害者の啓蒙活動の一環として始まったそうです。 何年も前に、参加した子の親御さんから、うちの子は障害児じゃないとクレームが入りました。支援級に通う子の中には手帳非所持の子もいるため配慮が足りなかったという結論に至り、公の場ではイベント名に「障がい」という文字を入れないようにしたり、参加してくれた子に贈呈する記念品にも同じようなことをしてました。しかし、賞状だけは正式なイベント名を記載し続けてきました。今回も同様のことをしたら、過去にもあったようなクレームが入りました。 「賞状に障がいって入ってるけど、うちの子は違う。障害者って目が見えない、耳が聞こえないみたいな人のことでしょ?本人もそういう自覚がないからショックを受けてる。障がいは差別だ。」とのことです。親として、自分の子どもが障害児扱いされショックを受けているから、子どものために電話をしてきたのだろうと思います。先ほども記載した通り支援級は手帳を持ってない子もいるため、やはりイベントに障がいという文言は入れるべきではないなとは思いました。現時点公の場でのイベント名も記念品も配慮してるのなら賞状からも「障がい」は消すべきであったと思います。 ここで疑問です。 障がいは差別になるのでしょうか?また、障がい=目が見えない耳が聞こえないというようなことを言われましたが、これが世の中の障害に対する意識(?)みたいなものなのでしょうか?「障害」といえば皆さんは何を思い浮かべますか? 福祉課に配属されてから、極端な考えではありますが、色んな人がいて当たり前、なんなら多くの人間が何かしら障がいを抱えている、程度が違うだけ、手帳所持は一定のラインを超えてる人、と思っています。差別ではなく区別という感覚です。(だからと言って人間は皆障害者という感覚はございませんが、、、。) 大変子どもじみたことを言いますが、差別だと過剰に言っている人の方が差別しているのではないのでしょうか?皆様はどう思いますか? ここからは単に愚痴です。 そもそも障害者の啓蒙活動の一環で始めたのに、配慮しまくりで表向きはただの児童向けイベントになっている。もはや何の啓蒙かよくわからない。数年前はイベント名も変えるべきでは?と会議もあったらしいが、変えたらなんのイベントがよく分からないので今後はやらなくても良いのでは?やるなら児童全員を対象にすれば良い。結局役所の仕事なんて形だけ。ただでさえ業務に追われてるのに負担が増えるだけ。私の代でこのイベントが最後になれば良い。てか障害って言葉好きじゃないから代替になる言葉ないかな?
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たいへんですね。 私の個人的な感覚ですけど、支援学校や養護学校に通っている児童の親は一部「うちの子は、障害者ではない。」と強く意固地になって訴えてくる親はいますが、それはほっとくしかないと思います。 付き合ってたらあほらしくなってきますよ。 彼女たちは興奮して不満をぶつけるところを探してるだけだと思います。 そして普通の子として育てたいけどそれが出来てない現実に対するジレンマなどがあり、精神的に大変なんだと思います。 また精神障害的な人も一部いると思います。 あなたは一生懸命対応されている。 解決しようと努力されている。それでいいと思います。 あなたが笑顔で入れるように、自分で自分をほめてあげてください。 あなたはがんばっておられます。適度なところで折り合いをつけることが、大切だと思います。
なるほど:2
障がいは個性、他の方々に賛成です。 大手会社経営者やミュージシャン、パラリンピックなど 障がいをものともせず活躍されていたり、 ギフテッドと言われて秀でるものがあったり、 障がいを持っていても活きる場所を見つけられる。 この確率を高めていける社会体制や制度が求められている。 クラウドファンディングでできることもあるし、 寄付や政治活動で少し変えられることもある。 優れたものを見つけられる模索や訓練をできた障害者だけでなく、 一般の平凡であっても楽しめる人生を送れる社会とは?と どの時代もみんなが考え続けていった方が良いだろう。 学術的にはうまくやれば経済成長も達成できるとされて、 研究がすすみつつあるベーシックインカムの導入なども 考え方の一つと言える。
なるほど:1
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