解決済み
将来のことについて、ご意見いただきたいです。 私は、地方国立大の教育学部に通う大学4年生です。現在、就職活動中なのですが、将来について迷いがあります。 まず、「自分はどんな人になりたいか」考えたときに、 ➀元々、人の思いやこだわりがつまった物・文章(野菜・革製品・書籍など)に心惹かれることが多くあり、自分自身もものづくりや表現を通して、誰かの生活を少しでも彩ることの出来る人になりたい ②地元の自然・人が好きであるため、地元を拠点に生活し貢献したい という2つを大切にしたいという思いがあるのですが、今の時点で明確な職業などが見つけられません。 また、幼い頃から本と本のある空間が大好きで、趣味で図書館司書の資格を目指して勉強していることもあり、「本と関わる仕事が出来たらいいな」という考えはあります。(出版社や取次などはことごとく落ちました) 最も尊敬してる職業は小説家であり、最近は「自分も書きたい」と思う事が増え、いつかは物書きになりたいという思いもあります。 (今は趣味程度で感じたことやアイデアを書き留めています) しかし、現実的に来年から文筆家として食べていけるとは思えず、自分の経験や生活のためにもどこかに勤めるべきだと考えています。 ただ、ESを書き何度も面接を重ねる新卒での「就職活動」を行っていると、どうしても自分を押し殺しているように感じてしまい、なかなか馴染めません。 社会で生きるのは簡単なことではなく、私の考えが甘く、夢想的であるのは分かっています。 しかし、1度きりの人生、良い大学や企業に勤めることよりも、自分らしく生きて楽しむことが1番の親孝行のような気がします。 とはいえ、無理して大学に行かせてくれた両親に金銭面で早く恩返ししたいとも思います。両親は、学びたいことがあるなら学べばいい、したいことがあるのなら正社員でなくてもいいのではないかと言ってくれていますが、自立し生活できる程度のお金を稼ぎ安心させたいです。 長々となってしまい申し訳ありませんが、このようなことを相談できる人もなかなかおらず、私の考えに対しての率直なご意見、どんな可能性があるのか等のアドバイスをいただければ幸いです。 私の通っている大学は、ほとんどの学生が教師を目指しており、民間企業へ就職を希望する人はごくわずかです。 そのため、民間企業への就職を希望する人への風向きは厳しく、キャリアサポートセンターなどに相談しても、最後には「じゃあ教員を目指しましょう!」と言われてしまいます。 私は、元々、教師を目指して大学に入学した訳ではなく、ただ単に自分が受けてきた教育の実態について知りたいという思いで大学に入学しました。(この選択が生半可だったのかもしれません) 大学生活を通して教員という職の素晴らしさを実感することはできたのですが、自分が教員として働きたいかと言うと、何度考えてもその選択には至れませんでした。 自分でも考えが上手くまとまっておらず、読みづらい文章で申し訳ありませんが、ご回答宜しくお願い致します。
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僕の経歴。 法大社会学部卒。 劇場映画製作バイト(美術-にっかつ調布撮影所) 家裁調査官補面接落ち→全業種に大学推薦が可能なるも全て拒否。 出版社(小学館、筑摩書房)、広告代理店(博報堂)、報道(朝日、時事通信社)など会社まわりもせずに正面から応募して全落ち。 複刻本が好きだったことをきっかけに、ほるぷに入社し絵本セールスマンとして半年後に全国トップを達成。売れるようになって飽きてきたところで、父親の逝去に接し、どうせ死ぬのなら好きなことをしようと。 映画撮影所でのカチンコが忘れられずに産業映画の道に入る。映像プロダクション入社。広告代理業-映像製作プロデューサーとして全国グランプリ他受賞。PR映画、TVCM、イベントなど。日本一になるまで10年かかった。 映像プロの倒産劇で退社。ここでの鬱状態を契機に、カウンセリング業を自営(新聞に紹介されて書籍に出たり週刊誌にコメント)。しかし、自分のカウンセリング技能の限界を感じ、食えないので事務所閉鎖。 カウンセリング業が買われて、専門学校講師(社会心理学)となった。これは2年で首になった。どうやら派閥争いのようなものに巻き込まれていたらしい。このときは教育1本でゆきたいと考えていたので、たまたま縁のあった週刊文春からの誘いを蹴った。あまりにも愚かだった。 同時に、生活費を稼ぐためにすぐにやれることとして、雑誌写真カメラマン(広告、風俗雑誌)をやった。けっこう機材に金がかかった。 そのうち、3行の編集後記にファンレターが届いたことを契機に、雑誌ライター(週刊誌、風俗雑誌)に。 企画から記事や写真だけでなくイラスト制作まで行なっていた風俗雑誌が契機となり、編集者から誘いがあり、小説家(ハードポルノ文庫2万部完売)デビュー。当初は、電撃文庫への誘いだった。 ライター時代から兼業したのは、ホテルナイトフロントマン(バイト)。小説が出たところで、生活をこのバイト1本に絞った。これは作戦ミス。書けなくなった。結局この夜勤で身体を壊した形になった。 ライター時代に医療過誤裁判に関わってライフワークとする。その過程で極左活動家幹部と交流し、さまざまな裁判闘争に関わり、合同労組結成にも参加。 癌の手術をしたことを契機に、大学病院の手術室清掃の仕事をはじめ(滅菌センター非正規)現在に至る。もう死ぬと思ったから、恩返しのつもりもあった。再発の多い癌だが、生存率更新を目指しているところ。 ときどき医学書や医療裁判関連の古本を買って斜め読みしているが、実はつい先日から司法試験予備試験の参考書を読みはじめた。あの受験は半端ではない。正直どうみても僕には無理だよ。無理だけどね。やることにしたの。 職業としては、小学生の頃から夢想していたことは全部実現した。 でも、あまりにも大変だったし、今でも生活は大変すぎる。 そのかわり、どこかで願っていると、なんとなく、なりゆきでそうなるもの。 橋口譲二さんという写真家とお会いしたことがある。弟子入りしたいという人がときどきくるそうです。そういうとき、いつもこう言うのだそうです。「人と同じ生活をしていて抜きん出ることはできない。あたりまえのことです。まずは今の生活を変えて下さい」と。 僕も基本的にもの作りが好きです。セールスマンをしていたときは、販売という名の芸術活動だと考えていた。お客と自分との目に見えない関係性が見えたから。オーラのようなものか。本当に見えたのです。また、教育も芸術だと考えていた。ルドルフ・シュタイナーが大好き。「遺された黒板絵」なんかビビるぜ。 それで。もの作りの契機となり、勉強できる職業としては、広告代理店を勧める。できるだけ大手を狙って、地方の支社勤務を希望する。職種は営業でよい。また、大手が駄目なら、小さい会社でもよい。小さいと予算規模が小さいので思うような仕事ができないということもあるが、人がいないから何でもできるとも言える。でも、求人誌のみとか、タウン誌のみの会社はやめたほうがよいと思う。仕事の幅がない。
なるほど:1
そんなに自身あるなら、なぜ今すぐに小説を書いてデビューしないんですか? 俺は大学一年の時にデビューしましたけど? そもそも、なぜサラリーマンや教員が「自分らしく生きる事」にならないのですか? 自分の好きな事だけやって飯が食べれるなんてほんの一部の超天才しかいませんけど むしろサラリーマンや学生をやって見識と教養を深めて小説に反映させるくらいの事が出来ない人が小説家なんてなれませんよ
なるほど:1
会社の仕事は、顧客や会社のためにする組織プレーです。顧客を満足させ、会社の要望に応えるから給料もらえるのであって、自分が満足しようとしても採用されません。 自分主体で仕事したいなら個人事業主ということになりますが、能力や経験や人脈がないと、なかなか上手くは行きません。 ここは、就職して経験積んで能力を磨き、人脈も作り、それから個人事業主になるパターンも考えてみてはいかがでしょう?
なるほど:1
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