解決済み
大学で良い成績をとるメリット大学で良い成績をとるメリットは何でしょうか? もちろんできる限り良い成績をとりたいとは思っているのですが、とりたい資格(検定)がいくつもあります。 中学校や高校では、成績順に進路が決まっていったので成績>資格でしたが、大学では成績順に進路が決まらないような気がします。 むしろ、資格を沢山取っておいた方が有利なのでは?と考えています。 就職試験の際、成績を見られたりするのでしょうか? ※大学の勉強を手を抜く訳ではありません。どちらも両立できるのが理想ですが、どちらに重きを置くかという話です。 ※ちなみに考えている資格は 日商簿記2級 基本情報技術者試験などの情報系資格 可能であれば行政書士
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出来るだけ説明を端折るつもりではありますが、長くなったらご容赦下さい。 人間の集団には、集団でいること自体が目的の集団と、メンバーが力を合わせて何事かをなすことが目的の集団があります。企業が後者にあたるのはおわかりいただけるかと思います。 ところが、企業も大きくなるとトップが末端の構成員について個性にまで踏み込んで把握することが難しくなります。 たとえば、何の前触れもなしに何日も無断欠勤したかと思うと、出てきたときには大口の契約を取ってた、そんな従業員がいるとして「あいつはそういうやつだよ」という扱いが、まだ小さい企業では出来るんです。 ところが大きくなればなるほどそういう個性の把握は難しくなります。管理者として、大口の契約を取って帰ってきたプラス点より、何日も無断欠勤して職場を混乱させたマイナス点の方が大きく判断されてしまうわけです。 簡単に言うと「成功したことより失敗をしていないことの方が重要」という扱いになってきます。 さて、そういう組織において評価される基準って何だと思いますか?まずひとつは「失敗したことがない」という点。さらに、1日=24時間という誰にも等しく与えられた時間のうちどのくらいを企業での労働に"捧げた"かということです。これはありありと数字に出ますからね。日本から残業がなくならないのも宜なるかなですね。 さらに言いますと、その企業に所属してからどれくらい経つか。つまり年功序列というやつです。しかし、ひとつのポストに対して複数の候補者が上がることは珍しくありません。そういうときにどうするか。まずは出身大学の偏差値です。それが同じなら学部です。学部も同じなら専攻です。それも同じ時に初めて大学時代の成績が問題になります。 ついでに言っておきますと、それでも優劣つけがたい場合は出身高校で決まったりします。ずいぶんと早い段階で一生が決まってしまうんですね。若者が夢を見る余地がありません。若者の自殺が多いのもこういうところが大きいのかなと思います。 ですので大学での成績は良いに越したことはないんですが、5教科全部5じゃないと希望の学校には入れないぞ!レベルの苛烈な勉強は大学では必要ありません。ギリギリ合格した科目があって当たり前です。 私は訳あって大学時代から働いていたんですが、いくつかの大企業で就労して、その少なからぬ割合において若手の仕事が上司のお守りになってることに嫌気がさしていました。というわけで、雇われで働いた中で一番長く務めたのは柔らか銀行グループの1社でしたね。センター長が私より2歳ほど年上という若い会社で、結構好き勝手にやらせてもらえたので楽でした。 なんだかんだあって今は自分で建てた会社の代表です。代表って言ったって代表以外誰もいない会社なんですが。 大学での成績は程々でいいのではないかというのは素晴らしい着眼点です。ですが資格を取ると有利というのはちょっと外しています。簿記も基本情報技術者も行政書士もそうですが、試験に受かったというだけでは何にもなっていないんです。実務経験がない「合格しただけ」の人はほとんど評価対象になりません。そもそも、3つ挙げられた資格ですが、就職してからでも頑張れば取れます。 時間の自由が高校までとは比較にならないぐらいあって、さてそこで何をするか。面白いことをして下さい。面白いっていうのもいろいろあるんでしょうが、この人こんな特技があるんだ、とか、この人こんなこと知ってるんだ、とか、この人こんな趣味があるんだ、とか、まあ雑談ネタを多く持ってる人間になってくださいと言えばいいのかな。 私がラテン語を習っているときに(数年前です)一緒に習っていたのは日本の商社のヨーロッパ支社長を務めて定年退職された方だったんですが「ビジネスランチで日本人は仕事の話をしたがる」と仰ってました。 特にヨーロッパのエリートは、それまでの教育においてローマ時代の文献、さらに余裕があれば古典ギリシャのことまで踏まえてます。向こうの人はそういう教養があって、ビジネスランチという場で「私たちはこういう文化的土壌に育ちました」と自己紹介をして下さってるわけです。しかし日本人はそれを語れないんです。向こうは、世界でも珍しい非白人・非キリスト教の先進国で、いろいろな文化を次々生み出している人種の文化的背景を知りたがってるわけです。 日本では、高校までの教育の中に日本とは何ぞやという質問の応えになるような授業が少ないです。私は元禅宗の僧侶を養成するための教育施設を普通高校として改組した高校で学びましたので、ごく大まかに禅の知識があります。大学でも日本思想史を取ったんですがこれが難しいんですね。西洋みたいに言葉をひとつひとつ確認するように紡ぐ思想ではありませんからね。 大学での先生との出会いから、私は古典ギリシャに転向しました。卒論はプラトンで書きました。西洋哲学の歴史は全てプラトンの脚注だと言ったのがホワイトヘッドという人なんですが、なるほど、プラトンを押さえておけば、西洋哲学も日本の哲学もよくわかるんですね。 私はいま、外国人(主にキリスト教国)に日本文化を説明するときには強引に禅と結びつけています。禅の影響は大きいと思いますし、大きな間違いはないと思います。そして、そうするとちゃんと説明した気になります。 要は、雑談するときにどれだけの引き出しを持てるかです。外国人だけでなく、日本人と話すときでも重要なことです。 では、大学を楽しんで下さい。
成績があまりにひどいと、就活面接でツッコミを入れられてしまう可能性はあるでしょうね。 《周りの方々も手を貸してくださるし、そのおかげで、人並みにはなれる》 https://kaikeijin-course.jp/2020/04/23/4193/ 明治大学政治経済学部在学中に公認会計士試験と不動産鑑定士試験に合格した上で主席卒業、そして、学士入学した東京大学法学部でも在学中に司法試験に合格の上、主席卒業も果たした、弥永教授(筑波大学)のエッセイからの引用です。 なお、弥永教授は国家試験三冠王だけでなく、わが国商法学(会社法)の最高権威の一人でもあります。 簿記会計や法律系の資格試験を目指す人にとってはレジェンドであり、いわば神のような存在として著名です。 リンクを貼った受験情報雑誌『会計人コース』のエッセイを何度も読めば、なにか感じ入るものが得られると思います。
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