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とある初老のプロカメラマンの方と話す機会がありました

とある初老のプロカメラマンの方と話す機会がありました「昔のカメラマンのお弟子さんはセッティングして、師匠がチェックすると「てめーここが歪んでるじゃねーか!」と蹴り入れられたりしたんですか?(某会長まで上り詰めたサラリーマン漫画ネタ)」 「それはどうかなー?でも俺らが若い頃はその感じに近い人も多かったんじゃないかなー」 露出計の話になって「俺らが若い頃はさ、師匠や他の巨匠の写真や写真集にスポット露出計あてて陰影とかチェックして勉強したりしたなー。今の人はどうかなー」 「そんな機材の使い方があるんですね」 NHKで見たのは… 見習いの頃は、バッテリーの残量を知るのに端子を舐めてビリビリ具合で確認した。師匠から手取足取り教わったのは「美味しいお茶の入れ方だけ」…ってのは映画監督の話だったかな? 今は廃れたりしてあまり話されもしない、昔のカメラマンの苦労話や機材話・技術話など知ってたら教えてください。

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回答(10件)

  • ベストアンサー

    主に機材の話しをします。40年ほど昔の話です。 【映画撮影機】 当時はアーノルド・リヒター社(独)のアリフレックスというキャメラを 使っている制作会社が多かったと思います。本編(劇場公開用映画)に ついては詳しくないのですが、やはりアリフレックス35とミッチェル(米) が多かった印象です。 フィルムの時代は、キャメラは基本レンタルかリースで、制作会社がキャ メラを所有していることは希だったと思います。それだけ高額でした。 16㎜キャメラにはアリフレックス16ST、BL、SR 35㎜キャメラにはアリフレックス35(Ⅱ、Ⅲ)、BL 他にはミッチェル(米)やエクレール(仏)などのキャメラも、日本の撮影 現場で活躍していました。 16㎜キャメラはテレビ番組やPR映画(今のSP)や教育映画などの産業映画 の分野で使用され、35㎜キャメラは本編(劇場公開用映画)で使用されて いました。 フィルムは100ft、400ft、1,000フィートとあり、撮影は基本的にネガ・ フィルムで行いますが、即時性の求められるテレビのニュースだけは、 リバーサル・フィルムが使われていました。 また、400ft以上の長尺を使う場合は『マガジン』と呼ばれるフィルム 収納庫のようなものをキャメラの上部に取り付けなければならないもの が殆どでした。アリフレックス16SRはマガジンなしで、400ftフィルム が装填できました。マガジンには生フィルムを装填する供給軸と、空のス プールを装填する巻取り軸の2本があるのですが、16SRはこの供給軸と 巻取り軸を1本で兼用するというもので(コアキシャルタイプ)、供給用の スプールと巻取り用スプールが背中合わせに並んでいると言う独特の構造 になっていました。なので、生フィルムをキャメラに装填する場合は、 フィルムにひねりを加えるのですが、チェンジバッグの中でやる作業なの で楽な作業ではなかったようです。 因みに、8㎜のスーパー8もこのタイプです。 【映画撮影機の基本的な仕組み】 ご存知の様に基本は毎秒24コマの撮影です。フィルムは露光される際に キャメラ本体のゲートと呼ばれる部分を通っています。ゲートには1コマ 分の窓穴(アパーチュア)があってそこで露光されますが、その時一瞬 フィルムは停止します。つまりフィルムは間欠運動をしている訳です。 そうでないと上映時の映像が流れたようになってしまいます。 特徴的な構造に『回転ミラーシャッター』というものがあります。 扇風機の羽に鏡を貼り付けたようなものです。これをレンズとフィルム の間で回転させることにより、シャッターの機能を果たします。 鏡と光を通す部分の比率は、殆どのキャメラが1:1です。つまりここで レンズから入った光が半分に減少します。尚且つ、毎秒24コマという 前提があるので、キャメラのシャッタースピードは1/48秒になります。 また、この光を通す部分の隙間の角度を合計したものをシャッター開角度 と言います。上記の場合のシャッター開角度は180度です。 鏡はレンズから入った光をファインダーに送るためのものです。なので フィルムが露光されている間は、ファインダーの中は真っ暗です。これは 一眼レフと同じことなのですが、違うのは映画のキャメラの場合、ファイ ンダーを覗いた際のフリッカーが半端ないということです。 【フィルターとシネスコレンズ】 映画の撮影用ネガフィルムは、当時はタングステンタイプだけだったと 思います。なので屋外撮影では色温度変換フィルターが必要でした。 一眼レフのように、グラスフィルターをレンズの前玉にねじ込むというの ではなく、ゼラチンフィルターと呼ばれるものをフィルターホルダー(小 さな円形)に合うようにカットして、それをホルダーに詰めてレンズの 後玉に取り付けます。なのでフィルターの着脱の際にはレンズを外さなけ ればならないというリスクがありました。 また本編(劇場公開用映画)になると、シネマスコープサイズで撮影される ことも多く、その場合はシネスコレンズ(アナモフィックレンズ)という ものをレンズの前玉に取り付けていました。撮影時に横方向の光だけを 圧縮するというもので、ネガフィルムには縦細長い映像として記録され ます。で、上映の際は映写機のレンズの前に、縦細長い映像を本来の状態 に戻すためのレンズを取り付けます。 【ゴルフの撮影】 顔見知りのキャメラマンの方で、年中ハワイにゴルフを撮りに行ってる 方がいました。望遠レンズで打球の行方を追い続けるのは困難と言って、 自作のアングルファインダーをキャメラの上に取り付けていました。 要はアングルファインダーのセンターの位置とレンズ(撮影画角)のセン ターの位置を合わせて、画角だけを大きく広げたものです。 最初から望遠レンズの画角(ファインダー)で打球を追うよりも、広い 画角を見ていた方が打球を追いやすいという理屈です。 更に通常のシャッタースピードでは、スウィングが流れた映像になると いうので、シャッター開角度を15度(シャッタースピードにすると、約 1.7/1,000秒)にしていました。 【薄暮の撮影】 専門学校の卒業制作で体験しました。恐らくひとつのシーンでトーンを 揃えるのが最も難しい撮影ではないかと思います。 使ったフィルムはISO100だったと思います。FUJIの250はまだなかった かと記憶しています。もちろん色温度変換フィルターは絞りを喰うので 外します。照明も打ちます。それでも露出計のF値なんて出ません。 ただ、ラッシュを見た時にはそれなりの雰囲気で撮影出来ていました。 問題だったのは、明るさがショットごとに明るくなったり暗くなったりで バラバラだったことです。薄暮だから暗くなるのも早いし、それに加えて 中抜きで撮影(時系列順ではない)をやったことが原因ですね。 僕は早期出社の扱いになり、以降卒業制作にはかかわっていないのですが、 後々、完成作品を見た時には、そのシーンのトーンはきれいに揃っていま した。但し、薄暮と言うよりはナイトシーンでした。これがラボ技術によ る補正なのか?撮り直しをしたのか?は分りませんが、いずれにしても 明るい状態の薄暮にトーンを合わせることは、よほど短時間で撮り終えな い限り難しいということです。 【サランラップ?のCM】 サランラップかクレラップか、あるいはそれ以外の商品だったかは忘れ ましたが、TVCMの現場に助手として行ったことがあります。この時は、 フィルムではなくビデオカメラによる撮影でした。フィルムとビデオの 過渡期が始まった頃だと思います。撮影そのものは順調に進んだと記憶 しています。ただ最後の商品カットが難関でした。 クライアントさんの要望で、商品のカットはパッケージをそのまま撮影 するのではなく、ラップをピッと引き伸ばす画を撮ることになりました。 女性の手タレさんもスタンバイしていました。 でも・・・背景とか照明の問題ではなく、何度やってもラップが思った ようにきれいに伸びてくれなかったですね。 「ちょっと俺がやってみる」と、男性のクライアントさんに変わったの ですが、それでもなかなかうまくいきません。別の男性のクライアント さんが「男の無骨な手じゃね~」と、また手タレさんに変わります。 「女性では引っ張る力が弱いか?」と、また交代・・・ 結局何テイク撮ったのかさえ覚えていませんが、この1カットに2時間程 かけたと思います。 最後は鶴(クライアント)のひと声です。 「これだけ撮ってれば、どれか使えるやろう!」とスッキリしない一言 で幕切れとなりました。キャメラマンのFさん、お疲れさまでした。 【キャメラマンについて】 僕の場合は一人のキャメラマンに師事していたわけではなかったです。 かといってフリーランスの助手でもなかったのですが、大体若いキャメラ マン(30代~40代)の方につくことが殆どで、皆さん寡黙な方が多かった ようです。聞けばそれには答えてくれますが、自分から指導するという事 はなかったです。特定の人に師事していた訳ではないので、そういう意味 でも教えたり怒ったりは殆どなかったですね。 非常に印象に残っているのは、50~60歳くらいの照明の方です。 あるとき一泊でロケに行きました。何の撮影かは忘れましたが、露出計で 背景部分の照度を計っているときに、「そこにもっと乗せる?(照明を 強くする?)」とか、「あそこも計るといいよ」・・・と常にコミュニケ ーションを取って、こっちをうまく乗せてくれました。 僕がまだ若い(当時21~22歳)と見てのベテランの配慮だったと思います。 ところが仕事が終わると「●●ちゃん(僕のこと)、今晩ケツ貸して!」 なのです。冗談なのは分かっていましたが、大先輩相手にどうリアクション 取ったら良いのか分からずに黙っていると、面白がって更に言ってきます。 因みにこの業界の習慣として、新人の若い男を●●(●●は苗字)ちゃん と呼びますが、それは過去、業界にゲイが多かった名残りだと聞いた事が あります。 言い忘れていましたが、もちろん貸したりなんかしていませんので、 ご安心ください。 制限文字数、ほぼ一杯に使わせていただきました。 長文、たいへん失礼いたしました。

  • 僕の時代は更に古いかな。甲板時代でしたからね。ガラス甲板は暗室でも落としてしまったら割れてしまいますからね。また指を怪我する事もありましたよ。またマグネシウム発光時代でしたからね。マグネシウムの量で光が決まる訳ですからね。写真撮影だけでも大変でしたよ。

  • 私、アシスタントというのは学生時代のアルバイトとかだけで会社に入り、即カメラマンだったので苦労など知らないです。 ただ、カメラマンになり私が何も教えないので辞めたのは何人か居ます。周りには、私が何も教えないからだと言っていたそうです。でも、最初の10年位は叱ったり蹴ったりはしたことが有りませんでした。聞かれると教えていましたけどねえ。専門の学校卒業しているのに、そのレベルで解説しても理解できないどころか・・・電池のプラス・マイナス/交流直流など中学生並みの常識が無いのも居てね、荷物だけ持てればいいと思うようにしてましたね。 それから、支社勤務になったくらいから学卒採用になったので、会話が成立したので感情的にもなりました。今も付き合いが有るのは、その頃の連中ですね。理解できるから怒れば改善するし進歩もします・・・最後はニュアンスの共有できて、違うアイデアを出しだしたらアシスタント卒業です。でもね、その頃から女性が少し進出しだしてね、扱いには気を使いました。

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  • 時代だよ・・・・自分がアシスタントの頃も蹴られるとか露出換算間違えて55ポラ機で頭小突かれるとあったし・・・ そんなことは毎日では無いし、それが辛いとは感じなかった。そもそも自分がカメラマンの指示通り出来ないから怒られるので仕事を覚えてミスが少なくなればそこまで怒られなくなる。 まあ自分的に辛かったのは通年ほぼ残業で21時にタイムカードを押せればラッキ~で喜んだし週2日ぐらいは完徹か夜中にホリゾントにカポック敷いて暗幕被って2~3時間寝るような感じだった。

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