解決済み
来月の3日から、小学生の学童の指導員としての仕事が始まります。私は確かに子供は好きだし可愛らしいと思うけど、それ以上に、学童で働きたかった理由があります。 私が住んでいる地域はとても田舎で、小学校は一学年10~25人程の規模でした。 しかも私のお家のある地区は女子が少なく、うちの小学校の縦のつながりは地区や登校時の班がほとんどだったので、私が話す女の上級生はいませんでした。 男の子も男の子同士で固まることが多く、私は必然的に上級生とはほとんど関わりがありませんでした。 結果年上と話すのが苦手になり、高校1年生までずっと年上と話したことがほとんどありません。 しかし、高校2年の時に転入した通信高校で先輩や歳がめちゃくちゃ上な人達と話す機会が増え、しかもみんなそれぞれ色々な経験をしており、そこで初めて自分の存在を受け入れたり、他人と違う自分や、頑張っても上手くできない自分を肯定出来るようになったと思っています。 本当はそのような経験を小中の間に出来れいれば。 自分の身体や心の悩みを年上の人に打ち明けて相談して、受け入れて貰えてたらいい意味でもっと違う人生が送れていたのではないか、とずっと思っていました。 だから、「母親」や「先生」のようなとても偉くて賢くて偉大な存在ではなく、「学童の指導員」として「ただのちょっと仲良しのめっちゃ話聞いてくれる経験豊富なお姉さん」として児童たちを支えてあげたいなと思っています。 しかし、本当にこのような心持ちでやっていけるのかな、と少し不安になっています。 私は今18歳なので、恐らく「高卒以上」しか働けないうちの学童では1番若く、小学生に近い年です。 でも、ネットなどで聞く話だと、今の小学生は私が小学生の時と全然状況が違います。 ネットやスマホが普及し、人間関係も複雑になり、性交渉の年齢が低くなったり。私で手に負えるのか不安です。 Twitterでも、小学校か中学校の女性の教師の方が男子生徒たちにセクハラ?をされ、その子たちの間違えた性知識を正した結果親や学校に注意されてしまった、みたいな話を目にしました。 (確かに親御さんの気持ちもわかりますが…) 私は児童たちを子供扱いしたくないし、私を偉くて強い人と思って欲しくないので、本当に近所のお姉さんのような手軽に相談でき、真剣に向き合える存在になりたいのですが、私の心構えは学童指導員に向いているのでしょうか… 正直、私は小学生のとき学童に行ったことがないから、指導員さんがどのような事をしているのかも知らないし(仕事内容は教えていただいています)、小学生と話す機会もほとんど全くありません。 子供もめちゃくちゃ大好き、という訳ではないから、子供が大好きな人でも挫折し辞めてしまうという事があるのも、私は大丈夫なのか、と心配になります。 話を上手くまとめれず申し訳ありません。 もし、学童指導員の経験のある方や、放課後児童支援員みたいな形で「よその子供を預かる」という経験のある方がいらっしゃったら、私の考えや心構えについて「これは良くない」など意見があったら教えて頂きたいです。
私は小学生のとき「さ行が言えない(名前にさ行が入っているのに)」「毛深い」「笑い方が変」など、大人から見れば本当に些細なことでからかわれたり、からかわれなくても1人で悩んでいました。 年齢があがるにつれ、容姿のことや生徒や教師からの差別やいじめ、セクシャリティ、精神疾患の症状(当時は精神疾患と知らなかった)、慕っていた先輩からの性的暴力やモラハラ、引きこもりになり地元で有名な進学校を中退し通信高校へ転学。自分で言うのも変ですが、恐らく多くの人が体験しないであろうことを体験し、考え悩み、そしてたくさんの経験を聞いてきたつもりです。 私は偉くも賢くもないので、正しいことを児童に教えれる自信はないし、正直人生に何が正しいとか無いと思うから「こうするのが正しい!」と児童に指導するつもりもありません。 ただ、自分の経験を共有し(もちろん余計な事は言いません)、少しでも児童たちが自分自身で好きな道を生きていけることや、責任を取れる行動を出来るようになるように一緒に学んでいければと思っています。
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以前学童で働いていたことがあります。 私も同じスタンスでした。 というか、今小学生の親ですが、今も同じスタンスですね。 過度に子ども扱いはしないし、 幼稚園の先生みたいなテンションで子供に接したことはないです。 そのことじたいはむしろ子供になつかれやすい要因ではあると思うので 悪いスタンスではないと思っています。 我が子や、我が子のお友達とか狭い範囲なら。 ただ、長期の学童の指導員、という立場になるとどうかなぁとは今は思います。 私が働いていた学童にいた子どもたちは、 みんな多かれ少なかれ、寂しさを抱えている子が多かったです。 それが学童にいたからなのか年齢的なことだったのかはわかりませんが、 私のしたようなフランクさは、子供たちのそういう寂しい気持ちを埋めたり 励ましたりすることもあったようです。 ですが、反面、相手に期待をさせるようでした。 もしかして自分はこの人の特別なのではないか、特別にしてもらえるのではないか。 実際は特別扱いは出来ません。 というか、そもそも全員「仕事先のこども」なだけで特別な関係ではないですし。 指導員の<しなくてはいけない業務>は 「お預かりしている子全員をケガなく大きなトラブルなくすごさせること」ですよね。 毎日ずっと一人とだけそんなにべったりいられません。 そうなったときにな~んだ残念ですむ子もいれば、 ひどく傷ついてしまう子もいます。 そして、なりふり構わず特別になろうと必死に頑張ってしまう子もいます。 なので、当時指導してくれた先輩に非常に怒られました。 すべての子をその子が望むだけ構えるのか見きれるのか、気持ちに責任を持てるのか。 私たちはあの子たちの親ではないし、 あの子たちはかまいたいときだけかまっていいあなたの愛玩動物じゃない。 私たちの絶対しなくてはいけない仕事はなんだったか思い出せ、と。 なので、ベテランほど淡々と「先生」ぜんとしている人が多いのは そのためだと思いますよ。 ダメではないけど、私と同じ失敗をしてしまいそうだ、と思ったので。
なるほど:1
向いています。私が子供だったら先生の学童に通いたいです。
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