教えて!しごとの先生
教えて!しごとの先生
  • 解決済み

教会附属の幼稚園です。

教会附属の幼稚園です。もちろん、幼稚園は休園中。 ステイホームと言われている世の中なのに、礼拝・祈祷会はある。 「不要不急ではない」「教会は別だ」「広い空間で換気もしてるから大丈夫。」と言う牧師兼園長。その理由は、まったく理解できない。 確かに来る人は、少ないが高齢者ばかり。家族は心配だろうにと思ってしまう。 教会で礼拝も大切だが、今はお家でお祈り下さい。となぜ思わない。なぜ言えない。 http://uccj.org/news/36449.html 最高トップが控えるようにって言ってくれているのに控えない…。 医療従事者の保護者もいて、やっていると知られたら何を言われるか…。 そもそも、ニュースでいろいろ報道されているのになんとも思わないのだろうか。 いろいろ言ったが気持ちは伝わらないし、理解が出来ない様子なので諦めました。 また、このような人がいるからコロナの終息も難しいとつい思ってしまうこともあります。 信仰心の違いだろうと思いながらも、納得がいない。 みんながいろいろ頑張っているのに「教会は別だ」と発言してしまう牧師、もはや信用はしていない。 母教会の牧師ではないことだけが唯一よかった。 質問する場なのに愚痴になってしまい、すみません。

続きを読む

42閲覧

ID非公開さん

回答(4件)

  • ベストアンサー

    神、仏、人の道っていうでしょ。だからねぇ、いくら信仰心が強くても、人の道から外れるような事をしてしまうと、なんの意味も無くなってしまいます。 そういうのにかこつけて、回りに迷惑かけても、自分の行いを正当化してるだけの良くない例ですよ。

    1人が参考になると回答しました

  • 以下の理由が考えられます。 ①「礼拝」の意味を「日曜日の午前中に、地域教会の集会に出席すること」だと、思い違いをしているから。 ②ヘブル10:25「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」の「集まる」の定義を、「教会堂」に「週○回集うこと」と限定しているから。 ③教会堂に信者を集めないと、献金(牧師給)が減って困るから。

    続きを読む

    1人が参考になると回答しました

  • 悩ましい問題ですね。 教会で行う礼拝が「不要不急ではない」ということと、 「教会は(世の中の基準で考えられることとは)別」というのは 本当だと思います。 主なる神を賛美し、感謝をささげ、命の御言葉を頂くことは、 全ての人間にとってなくてはならないものであり、 キリスト者にとっては尚更です。 もし「少しぐらい礼拝を休んだって構わない」と言うなら、 その人は神の恵みについて何も理解していないのだと私は思います。 しかし、「広い空間で換気もしているから大丈夫」などというのは 全くの戯言であり、新型コロナウィルスの感染について無知な人の 発言だと私は思います。 教会でも当然のごとく感染は起きますし、 十分に対策をしていた人があっさり亡くなられるかも知れません。 もしクラスターを発生させたなら、 その教会の牧師はどう責任を取るのでしょうか。 もっとも、 その教会がどのくらいの規模なのか、 現在の礼拝出席者が何人くらいなのか、 都会の教会なのか田舎の教会なのか、 いわゆる「三密」を防ぐために何かしているのか、 消毒とマスク着用は徹底しているか、 飛沫感染を防ぐために讃美歌を歌わないなどの 礼拝内容の変更はしているのか、 などなど、 様々な条件の違いも考慮すべきではありますが、 ひとまず(対面式の)礼拝を中止するのが賢明だろうと思います。 ただしそれは、 教会員が自宅などの場所でいつもの時間に礼拝を守れる ということが前提です。 出来ればインターネットで礼拝の配信をしてほしいですが、 教会の側にそのようなことをするための設備や技術がない場合も 教会員の側にそれを受信する設備や技術がない場合もあります。 それ以外の方法も考えなければならないでしょう。 いずれにせよ、 教会と牧師は教会員と地域の人たちへの霊的な配慮をする 必要があります。 それは礼拝を継続する形を取る場合もあれば、 逆に礼拝を止める形を取る場合もあるでしょう。 この問題に関しては、 どちらが正義でどちらが不正義だと単純に決めることは出来ません。 どちらにも言い分があるでしょう。 依然として教会に集まっている人たちが、 無知のために、またモラルがないために、 自分の行動を制限する必要を感じていないのであれば問題です。 しかし、 教会に来られない人の分も、 せめて自分だけでも礼拝を守り続けなければ、という使命感や、 毎週御言葉の養いを受けなければ魂が死んでしまう、 という真剣で熱い信仰を持って礼拝に臨んでいるのであれば、 話は別だと思います。 新型コロナウィルスはやがてごく普通のウィルスになって行くでしょう。 現在のウィルス禍が終息しても、また別のウィルスが登場するでしょう。 今後、人類は様々なウィルスと共存していかねばなりません。 その時に必要なのは、 「感染する・させるは当たり前。死と隣り合わせで生きる」 という覚悟ではないかと思います。 とにかく、キリストに結ばれて生きる者は皆、 主と共にある新しい命、天にある永遠の命が約束されています。 ですから、朽ちて行く地上の命については、 あれこれ思い煩わずに主の御手に委ねるべきです。 もちろん、 だから自分や他人の命などどうでもいい、というのではなく、 主が全て受け止めてくださるのだから、 今は安心して礼拝を休み、 また元通りの礼拝をささげられる時が来るのを待ちながら、 希望を持ちつつ、この苦難の時を忍耐して乗り越えましょう、 と言って励まし合うのが、 教会と信徒のあるべき姿なのだろうと私は思います。 (礼拝を死守しようとする人を批判する意図はありません) 何と言っても、 「安息日は、人のために定められた。 人が安息日のためにあるのではない。」のですから。

    続きを読む
  • 幼稚園は、幼稚園ですよね、保育園、こども園ではなく。 閉園ですね。 礼拝・祈祷会はある。ということですね。 とても難しいことだと思います。 なお、日本基督教団は、監督制の教会ではありませんから、ヒエラルキーで組織が動いているわけではありません。教区等の教師会で協議されてのことと思います。 地域の人口も少なく、会員も少ない地域の教会は、あえて、都会の大教会と同じでなくても良いと言えるかもしれません。 教会が、聖域だと言われるのなら、些か問題だと言えます。 新型コロナによる問題は、一人ひとりにとって試練であることには、間違いはないでしょう。どう行動をするかは、まさに祈りの対象でしょう。 礼拝を教会で守るかどうかは、信徒一人ひとりの信仰による決断であるし、疫学的見地によって決めるべきことでしょう。

    続きを読む

この質問を見ている人におすすめの求人

< 質問に関する求人 >

牧師(東京都)

求人の検索結果を見る

< 質問に関する求人 >

幼稚園(東京都)

求人の検索結果を見る

もっと見る

この質問と関連する質問

    職場・人間関係に関する質問をキーワードで探す

    < いつもと違うしごとも見てみませんか? >

    覆面調査に関する求人(東京都)

    求人の検索結果を見る

    Q&A閲覧数ランキング

    カテゴリ: 職場の悩み

    転職エージェント求人数ランキング

    • 1

      続きを見る

    • 2

      続きを見る

    • 3

      続きを見る

    あわせて読みたい
    スタンバイプラスロゴ

    他の質問を探す

    答えが見つからない場合は、質問してみよう!

    Yahoo!知恵袋で質問をする

    ※Yahoo! JAPAN IDが必要です

    スタンバイ アプリでカンタン あなたにあった仕事見つかる