倦怠感が続く日常の中では自分の存在が希薄に思えてなりません。 厭世の哲学者・ショ-ペンハウアーの言葉 「人は皆、生に対して盲目的な意志によって生きるしかない」 ということを痛感することもしばしばです。 けれども大切な人の命を失ってしまうと、 その人の生きてきた価値を逆に感じることがあります。 つまり、どんなにつまらない人生でも やはり「この世で生きていた」ということは 誰かしらにとって、かけがえなのない財産なのです。 具体的に「世の中に自分という存在は必要」だと 列挙することはできませんが 私は自分の存在に対して卑屈になることに陥らず、 何とか希望を見出す姿勢こそ 「自分という存在」の妥当性を獲得するものと考えています。
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いらないでしょう。 教師に「自分が世の中の役に立つとしたらそれはどんな時ですか」と聞かれて「そんな大きなことしない」としゃあしゃあと答えてみせた奴ですから。 私が消えても世界は回る。
とりあえず子供が大きくなるまではね。老後は絶望的ですけど。
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