解決済み
親戚の法事で、お経の後に法話があったのはよかったのですが30分以上も話されました。内容はありがたかったのですが、抽象的で実生活の役に立たないような話で、正座で足も痛く、参加者は(私を含め)皆疲れ果てているようでした。 具体的で簡潔な話ができないのは、僧侶という職業が浮世ばなれしているからでしょうか?
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話術のレベルの問題です。 難しい話でも内容を分かりやすいようにしたり、しっかりと起承転結があれば長い話も苦になりません。 逆に時間は短くても眠くなったり、苦痛に感じるのは下手くそだからです。 うちに来るお寺さんは基本的に子供でもわかるように話してくれます。 いくら難しい言葉を使って大切な話をしても理解されない話し方では意味がありません。
学生→出家という僧侶が多いと聞きます。 つまり社会生活の経験がないのですね。 社会で揉まれてなければ、当然本人の経験による 人間味のある話や、具体的なことよりも寺や佛教大学で習った 仏教の教理などの話にならざるを得ないでしょう。 当人は得意になって話していても、聞く方にとっては 薄っぺらにしか聞こえないでしょう。 まあ、その坊さんも経験を積むうちにだんだん味が出てくるのではないでしょうか。
故人と遺族に対して仏教の教えを説くのが僧侶の仕事です。 読経で故人に説法をします。 遺族に対しては仏の教えを現実に交えてわかりやすく話します。 ある程度の時間を使わないと、真面目に仕事をしているということにはならないということだと思います。 修行の成果を見てもらい徳のあるところを示したいということもあるでしょう。 お布施もいただくわけですからね。
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