解決済み
言動に一貫性があった方が良い職業と一貫性がないほうが良い職業という分類があると思いますが、色々教えてください。 例えば政治家は異なる複数集団における利害調整が主な仕事ですからA、B、C、それぞれの集団に対してはそれぞれ異なる対応をしてまとめることも時には必要でしょう。 有名なところだと大隈重信侯なんか典型的ですよね。 彼は禁酒団体の支持者の集会で演説するときはお酒の害を説いて聴衆に深い感銘を与えましたが、その同じ日に今度は酒造組合の支持者の集会で演説して、そこでは日本社会におけるアルコールの有用性を演説して聴衆に深い感銘を与えたそうです。 私はこれを節操が無いから大隈重信ケシカラン、とは思わない。 政治家なんですから当然の仕事だと思うし、やはり大隈重信侯は優秀な政治家だったんだな、と尊敬します。 反対に、教育の仕事に携わっている人なんかは言動に一貫性があった方が良いと思う。教え子から『前に言ったことと違うじゃねーか!』と思われたらマズいですから。 福沢諭吉先生は勝海舟や榎本武揚のことが大嫌いで、幕臣でありながら、新政府について出世したことを批判していましたが、教育者だからそういう批判したのかな?と思います。 (ただ、大隈重信侯とはめちゃめちゃ仲がよくてマブダチだったみたいですが) それと、小説家も、できれば言動に一貫性があった方がカッコイいと思う。 「橋のない川」という作品で反戦・反差別・反天皇を訴えてきた住井すゑ先生という方は、戦前・戦中は大東亜戦争を煽るような本をたくさん書き 、 日本の侵略戦争や植民地政策に反対していた朝鮮人を差別・糾弾するようなエッセイもいっぱい書いていました。 戦後住井すゑ先生が転向して「橋のない川」を書いたことに対して、在日朝鮮人の金静美さんが「節操がないじゃないか?あんたは戦時中は侵略戦争や植民地支配に反対していた私たちの同胞を差別していたろう!」と糾弾したさい住井先生は 「そんなのカンケーねえ。私はマーケティングの観点で当時は戦争肯定作品がウケると思ったから書いたのだし、戦後は反戦・反差別・反天皇の作品がウケると思ったから書いたんです。商売ですよ、ショーバイ。なんらやましいことはない」と反論しました。 個人的に、こういう小説家は見苦しいしカッコ悪いと思います。 政治家、小説家、教育者と挙げてみましたが 他にも例があれば色々教えてください。
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あらゆる側面があります。一概には言えないでしょう。 例えばネジを作っている工場の長。ネジより釘が需要が高まった!というのに「俺はネジ職人だ!釘なんざ作らん!」というのは、カッコイイと同時に愚かでもあると、どちらとも取れます。 それで成功すればいいですが、釘に方針転換してローンで機械を導入したと同時にネジ需要がまた高まったら「そら見たことか!貫徹してないミーハーだからそうなるのだ!」と言われるし、方針転換せずに工場が潰れたら「それ見たことか!頑固なやつは時代に取り残されるのだ!」と言われるでしょう。 結局、成功したあるいは人に良い影響を最終的に与えた者だけが、カッコイイと言われるのです。小説家で意思を曲げて商売に徹した人も、そのまま売れない小説を突き通した人も、”個人的に”カッコイイとも見苦しいとも言えてしまうでしょう。 政治家でもそうです。人によっては自己の政策を党議拘束や反対者や利害全無視で実行した小泉やトランプのような人が好きな人もいれば、それは自己中すぎる!政治家は妥協や折衷も必要なのだ!という質問者さんのような人もいるでしょう。 結局は主観になってしまいます。時代の潮流に合わせて次々と曲調を変えていく音楽者も、古い楽曲を突き通す人もいます。 更に歌舞伎が3DCGとコラボしたり、古楽を現代音楽にアレンジした人があるように、古いものを突き通すべき人が新しい物と一緒にやることで「カッコイイ」と紹介されたり人に感銘を与えることすらあります。これは一部の伝統派からは大きなバッシングを受けていましたが、伝統を重んじる人の中でも「これが進化」と肯定的な人も多くいました。 「伝統音楽の才能が開花しなかったから、少しでもウケるようになりふり構わず流行りの現代音楽と一緒にやってしまえばいいや」という意思の無さの変更は見苦しいですが、才能があってかつ意思を持って現代音楽と合わせるのはカッコイイ、と言えるかもしれませんがこれも主観でしょう。 売れたものが正義という人もいれば、伝統こそ正義という人もいます。それはどんな分野でも同じくらい分かれることでしょう。
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