解決済み
パワハラに当たるかどうか相談したくて、書き込みさせていただきます。 仕事をちょこちょこ失敗やミスをしてしまい副店長(♂)の説教を受けるたびに、「何度言ったらわかるの?言いにくいんだけど統失なんじゃないの?インターネットで調べてそう言ったサイトを見て病院にも行ってみたら?」的なことなどを言われます。 この発言はパワハラではないですかね? あとは、「あなたは現時点で高校生の子たちよりも劣ってるんですよ。この店で一番遅れてるんです」ということを店長に言われました。 このような、ほかの従業員たちと比べるような発言もいかがでしょうか? 家族などにも相談する勇気が持てないので、あえてこちらに書かせていただきました。 仕事場の雰囲気も決して悪いわけではないので、仕事場の人(社員やパート)たちに波風を立てるわけにもいかず。 精神的にもやもやしてます。 ちなみに、私の立場は家電量販店の新米パートです。 支離滅裂な文章を、失礼いたしましたm(__)m
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パワハラでしょう。というか人権問題です。法務局の相談・救済制度をご利用ください。大人のADHDの可能性もないわけではないけど「今更・・・」でしょ。 しんどいようなら精神科受診をおすすめします。もし、仕事が原因で精神疾患になった場合は労働基準監督署で精神労災を申請しましょう。 いわゆる「説教」というものは、もともとあまり効果のあがらぬものである。 上司が部下に、先輩が後輩に「そもそも・・・・・」という調子で、注意すべき点や、よく考えるべき点について述べる。時には「ワシの若かったときは・・・・・」などと体験談が入るときがある。総じてそこに語られることは「有難い」ことや、有益なことなのだが、どうも効果の方は、もうひとつあがらないのが特徴的である、と言ってよさそうである。 特に、説教が長引くほど効果はないようである。聞かされる方は、「何時に終わるか」ということにのみ関心があって、語られいる内容にはほとんど心を向けていないことが多い。そしてまた不思議なことに、「もう終わりだ」と思っていると、「しかしだな・・・」という調子で同じことが繰り返し語られたりして長くなるのである。 だいたい説教する側の人は、それまでにさんざん説教を聞かされてきた経験をもち、説教は長引くほど効果のないことを知っていそうに思えるのだが、それにもかかわらず、説教はえてして長引き勝ちとなる。いったいそれはどうしてだろうか。それはまず、説教で語られている話が、何といっても「よい」話しには違いないので、話をしている本人が自己陶酔するので長くなるようである。平素の自分の行為は棚に上げておいて、「よいここと」を話していると、いかにも自分が素晴らしい人間であるかのような錯覚も起こってくるので、なかなか止められない。 その上、説教しながら、何となく自分の言っていることが相手の心にとどいていない、効果をあげていない、ということがうすうす感じられてくるので、どうしても同じことを繰り返したり、だめ押しをしたくなったりして、長くなるのである。説教していて、同じことを繰り返さない方は稀であろう。 説教を効果的にしようと思うなら、短くする工夫が必要である。自分が絶対に言いたいことに焦点を絞る、繰り返し同じことを言わない、と心に決めておく。そうすると、説教をされている側としては、またはじまるぞ、どうせ長くなるのだろう、と思っているときに、パッと終わってしまうので良い印象を受け、焦点の絞られた話にインパクトを受ける。もっとも、こうなると「説教」というのもでなくなっている、と言うべきかもしれない。つまりは、説教が短いほど効果があるのであれば、説教などしない方がいいのではないだろうか。それは無いにこしたことはことはない。 にもかかわらず、説教はなくならないし、あちこちでよく聞かされる。その理由は、説教というものが、説教する人の精神衛生上、大いに役立つものであるからであろう。部下からみると、上司は勝手なことをしたり、威張っているように思えるが、上司は上司なりにいろいろと苦労しているものである。上司は上司なりに欲求不満がたまってくると、そのはけ口として部下に説教をする、というのが実情ではなかろうか。既に述べたように、言う内容としては、自分ながら関心したくなることを言うわけだし、精神衛生上という観点から見て、なかなか効果のある方法である。 人間はお互い様であり他人の精神衛生上のために助け合っているのだから、部下の方もこのあたりのことがよく分かってくると、説教をいやいや聞くのではなく、説教している人の精神衛生のためにご協力しているのだと思って、もう少し暖かい気持ちで聞けるのではないだろうか。 このあたりのアヤに気づかず、自分は部下のことを思うあまり、説教をしているのだと心から信じている人もある。このような人に対しては、敬して遠ざけるくらいのことしかできないのではなかろうか。好きにはなれなくても、敬するくらいはできるだろう。何と言っても、その人がご立派であることには間違いないのだから。 説教する側としては、説教はしないことにこしたことはないわけだから、自分の精神衛生を上手に保つことがまず大切であろう。精神衛生がうまく保たれていると説教する気などあまり起こらないものである。そして、説教したくなった場合、その背景にどのような欲求不満が存在しているかを考えてみるのもいいだろうと思う。 他に説教して迷惑がられるよりは、自分の欲求不満を解決するために、そのように取り組むべきかを考えてみる方が得策である。そのことに心を使っているうちに、説教することなど忘れてしまう。 何でも理想どうりにはできぬので、時には息抜きに説教をやらしていただいている、と思いつつするのが、いいことであろう。
なるほど:1
お互いに知識がないことも原因になってます 相手に屈辱与えたいだけの言動なら 少なくとも指導教育の担保である合理性はないわけで 悪意が支配的な行動ということに すなわち暴力、痛めつけるためだけの行為
副店長の発言はパワハラ、モラハラに抵触する恐れはあります。 店長の発言は事実に基づいているのならパワハラには当たりません。 人を評価する方法には二種類あります。 一つはその人物の個人成果を基準に判断する絶対評価 もう一つは他の社員と比較して評価する相対評価です。 他の社員が出来るのにその社員だけできない。 だったら、その社員の評価が低くなるのは理の当然、当たり前のことです。 店長の発言には何の問題もありません。
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