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生きることに執着ありすぎて辛いでしょう?

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    んにゃ? 「執着」はただの、人間が考えただけの理屈。 「生きること」はただの、生理現象。 一回一回の呼吸は、生きることそのもの。 「生きること」に執着ありすぎて辛い。 これ、二つの相いれない似て非なる視点が 巧妙に一つのように語られてるフレーズ。 昔からやたらに使われる、手あかのついた言葉。 よく考えりゃ、生きることと執着する事は 全く別のことだと中学生でも気が付くこと。 上のフレーズの「生きること」を例えば 「呼吸すること」に置き換えてみれば、 根本的にずれてることに気付くと思うけどな。 「呼吸する事」に執着あり過ぎて辛い? 訳、ないよね。 呼吸しないことに執着すると辛い、なら意味が通るけど。 寝てる間も呼吸してるしね。 つまり、全く実は正反対のことを混同して 使用してしまってるから矛盾を感じるのさ。 感じるだろう? 根っこにある、矛盾。 生きることが辛い、というのはポエムとしては 成り立つ。 でも、現実的に考えるなら、生きられないことに 苦しむのだ。 呼吸をすること、ではなく呼吸が出来ないことに 苦しむのだ。 「生きること」、を「どう生きたいか」と混同する。 だから混乱する。 生きることと、どう生きたいのか、ということは 全く別のことなのだ、実は。 まず、ただ生きる、ということを生き物として 納得出来なければならない。 どの道、僅か数十年の命しか、誰も持ってない。 途方もない生き方をした無数の偉人達も、 神のごとき権力や財力を為した傑物たちも。 皆、100年も生きられはしなかった。 つまり、つかの間の夢のように、儚く消えて しまった。 歴史に名を残し、遺物を残す。 素晴らしい生き方だ。 でも、当の本人は遥か昔に消滅して、只の物質に 戻ってしまっている。 そして、偉業を為した人の周囲にはその数千倍、 数万倍の数の人々が何かしらの形でかかわってる。 そうして、「歴史」は創られる。 何も、名を成す偉人達だけで創られている訳じゃ無い。 普通の人がいない世界で歴史など生まれはしないし そもそも偉人も生まれない。 すそ野が無い、頂だけの山が無いのと同じ。 何もかもが、連なっている、繋がっているんだ。 それで全体で「山脈」を形成するんだ。 だから。 生きること、とどう生きるか、という、実に 似て非なる、全く違う言葉を混同しては混乱する。 生きること、はその山脈のどこか一部である、と いうこと。 どう生きるか、はその山脈のどこにいるか、と いうこと。 裾野に居るから上に登りたい、そういう気持ちが 「どう生きるか、生きたいか」という気持ち。 でも自分がいる場所は裾野だ。 登ろうとしても山脈は余りに高く、自分は非力で 頂になどとても手が届かない。 力がない人間ほど、力がないことを実は心の中で 自虐する。 心の中で、いかに自分が矮小な存在であるか、 薄々感じてはいる。 だから、自分の力では努力なんかいくらしたって 頂になど近づけない、と思い込む。 だから、一気に跳躍できる超特急に乗りたがる。 それを妄想という。 超人願望もその一つ。 他人を殺してみたいという感情も、実はこれの 裏返し。 他人を自分の意志、それも行為の理由を社会から 強制されるような「~しなければならないから」 という紐付きの意志ではなく、純粋に自分の意志、 それにこだわるから、気まぐれの行動こそが 自分の意志だと思い込みたがる。 そうして、他人を、無差別に、広範囲に、気まぐれで。 殺すこと=完全否定して、自分は何の傷もつかないことを。 確認してみたくなる。 あたかも、自分が完全に独立した存在であると。 神であると。 証明してみたくなる、というようなくだらない逆説だ。 そもそも生まれからして育ちからして、遺伝だけで 出来た肉体に、周囲の世界を少しづつコピーして 出来てる精神。 何もかも借り物で出来ている生き物であるくせに、だ。 人間は全て、連綿と連なる「コピー」なのだ。 コピーされる時に変異が起き、生きる間に自分自身も 他者に対しても変異し続ける、丁度うたかたに 浮かんでは消える波の一つのように、だ。 ただ遮二無二(読める?)に一つごとに打ち込み、 黙々と頑張り、努力を積み上げる者の多くは、 それが他人には出来ない力を身に着ける唯一の 「自分の意志で無しえる」方法だと言う事を 身体で知っている。 山脈を登ることは大変だ。 滑落することもあるし、事故もある。 だが。 必ず、登っていく。 努力を否定し、それはつまり、結果が積みあがって いくことを体験したことが無く、信じない者達には 腰が引けて出来ないこと、電車で言えば各駅停車。 楽して特急に乗って自分だけ特別に上に行くこと、 そんな妄想ばかりしている人間を尻目に、着実に 登っていく。 そうして、数年経つと、最早普通の人間では到達 出来ない高みに登っている。 ボクサーと素人がスパーリングをしてみれば 例えば、判る。 プロになったばかりの四回戦ボーイだって、 そこらの「ゴルァ!俺は喧嘩なら負けたことあ、 ねーんだよ!」と粋がってるアンチャンの動きが 止まって見えるんだとさ。 どうせやっても無駄だと考えて何もせずに 特急電車に乗る妄想ばかりしてる人間なら、 生きることとどう生きるかということを 混同して執着がどうの辛いがどうのとクダも撒く。 だが、どう生きるかを正視できる者は、自分に 出来る方法を探し、バカのようにそれを一筋に 追及する。 執着する。 辛い。 当然、山脈を登ることに執着するのはエネルギーが 必要だし、体は軋み、もう休もう、どうせ無駄だと 心の中の重力が四六時中唆す。 だが、登る。 知っているからだ、登れば上に上がっていくことを。 自明の理だ。 登れば上がる。 自明の理を「生きること」というんだ。 どう生きるか、は彼らにとって、どの方角に、 どのように登っていくか。 そういうリアルな話なのだ。 だから、あなたが考える 「生きることに執着するのは辛い」 という「恐れと諦め」と、言葉ヅラは全く同じだが、 自分の意志でそれを為している者にとっては、 実は、下のような意味を根っこに持つ。 「辛くなる程、執着することが、生きたこと」 ・・・言葉は同じでも、全く逆の意味を持つのだ。 これも、頭で妄想するだけのヘタレが混乱する 理由の一つだ。 何せ、「言葉自体は全く同じ言い回し」なのだから。 自分が知ってるだけの知識や思考で、言葉だけを 理解して、他人より上になろうと妄想するから、 何物にもなれず、全く別の執着と苦しみを抱え込む。 何もせずに、全てを得ようと考えること。 そういう気持ちを「射幸心」というんだ。 自分だけ、ビッグなラッキーを手に入れてやる。 そういう「妄想」。 だから、パチンコや賭け事は沢山の人々を呼び寄せる。 あなたが目にする無数の言葉は、実は二重の意味を持つ。 裏と、表と。 そして、どちらかの意味しかないのではなくて、 裏と表は無数のグラデーションで繋がっている。 まるで、水墨画の白と黒が、無数のグレーを挟んで 連なっているように。 同じ言葉でも様々な意味を内包する。 だからこそ、誰がそれをいかなる状況で語ったのか。 それを抜きにしては、他人の言葉に近づくことさえ おぼつかないのだ。 他人から大切なものをロクに受け取れない人間と、 朴訥に、しかしたゆみなく近づこう、理解しようと 努力した人間。 どう生きるか、ということは、それの積みあがった 結果だ。 他人と比べてどうこうでは、ない。 ついまた長く書いてしまったけど、少しでも理解して もらえたかしら? 私は、そこんとこをあなたへの回答としたいのよ。 では、バイビー。

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