解決済み
大型二輪免許が教習所で普通に取れなかった時代の白バイ警官は、やはり今より難関だったんですか?教習所で取った段階なら中型限定で、400cc以上にのるには公安で限定解除試験を受けなければならなかった時代(1975~1996?)に白バイ警官になるのって、やはり難しかったんでしょうか? 当時に中型限定解除をするのはすごく難しかったと聞きます。20回受けてやっと受かったとか、東大入試より難しかったとか、、、、、やはり白バイ警官になる人も、この難しい限定解除試験を受けていたのでしょうか?もしくは、白バイ警官になるということで、警察が独自にやる白バイ警官死亡の人のための限定解除試験みたいなものがあったんでしょうか?
197閲覧
俺は旧限定解除組。 大阪の門真試験場で12回で合格した。 半分くらいまでは、練習を兼ねて受験していたが、どこがダメかわからなかった。 7回、8回くらいから試験官がワンポイントで教えてくれるようになった。 合格したときは、急制動でロックして試験官に怒鳴られたけど、【まっ、いいか?合格や!】のひとことで合格だった。 後半の急制動と波状路を含むコースは試験官の追尾採点だったけど、そんなにテンパることはなかったね。 当時は、警察官でも白バイを目指す人は、それなりの訓練を受けて、試験場で大型二輪の試験を受験していたと聞きます。 さらに、白バイ乗りとしての訓練を重ねたみたいです。 そのころの白バイはホンダCBX750ホライゾンで、 測定メーターがデジタル化したころだった。
< 質問に関する求人 >
求人の検索結果を見る
< 質問に関する求人 >
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
求人の検索結果を見る