解決済み
質問です。市役所職員・教員って落ち着いた雰囲気で仕事されていますよね?あれはそういう人たちを採用しているのか、それとも研修・経験でそのようになるのでしょうか?ワンパク・活発な方はそれらの職種には向かないでしょうか?教えて下さい。
例えば授業・講義・成人式で静かにできない若者がいたとすればなんらかの障害をおっていると考えるべきでしょうか?
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ワンパク、活発でも、定型発達なら静かにすべき時には静かにできます。 それができない人は、何らかの障害があると考えた方が自然でしょう。 補足より。 静かにできるのにする気がないのと、本当にできないのは違います。 障害がある人は、どんな場面でもできません。 成人式で騒ぐ奴は、静かにする気がないだけです。
少なくとも教員は「落ち着いた雰囲気」で仕事は出来ません。 授業の準備(教材研究と言います)や成績処理をしている時は、じっとりと机にしがみ付いていなければ仕事になりませんから、そのように見えるかも知れませんが、普通教員はその時間をひねり出すのも大変なほどジタバタと走り回っています。 もし、ジタバタと走り回っていない教員がいたとしたら、それはあまり能力のない教員で、能力もあり人望もあり、信頼もされている教員は、多くの子供達の時間と生を預かっていると言う現実と責任を自覚していますから、年から年中ジタバタしています。 少なくとも若いうちは、ワンバク・活発(フットワークが良いということですが)でないと勤まらない職業ですよ。 とても、ジジババ先生がやる研修でそのようになれるものではありません。 ただ、実際には、そういう意識のない先生方が多くなりつつあるという問題が深刻なんですけどね。 まれにAD/HDと診断される場合もありますが、教員の立場としては全く他の児童生徒と同等に考えて接します。(もちろん心の中では考慮し配慮もしなければなりません) しかし、「あの子は障害だから」という目で何かを判断するということは絶対にしてはならないことで、落ち着きのない子も、地味な子も、積極的な子も、泣き虫な子も、背の高い子も、デブな子も、成績の良い子も悪い子も、みんな等しい一つの人格なのだということをキモに据えてかからなければ教員としては失格です。担任をしていればそんな児童生徒を30人から40人も抱え込んでいます。彼ら彼女らの時々刻々の人生も共有しなければなりません。時には深夜に彼らの親達の夫婦喧嘩の悩み事の電話さえかかってきます。どんな子でも真剣に生きているんだと信じることから教師の仕事は始まります。それにとことん付き合ってとことん話を聞いてあげる、相談に乗ってあげる、出来る限りの手を尽くしてあげるのが、教師の仕事です。とてもではないですが、それだけでもテンヤワンヤの世界です。
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