解決済み
無声映画の弁士はどうして声優にならなかったのですか?無声映画がトーキー映画に変わった時代、多くの弁士たちが失業の危機にさらされたそうです。街頭デモ行進までしてトーキー映画の導入に反対したらしいです。 結局彼らの多くは、講談師などに転業したそうです。 どうして声優にならなかったのでしょうか? 外国映画の吹き替え、アニメの吹き替えなど、無声映画時代にはなかった新しい仕事が増える時代だったと思います。 トーキー映画になって初めて現れた、新しい職業です。 ユーチューブができて「ユーチューバー」という新しい職業ができたように、オンラインゲームができて「プロゲーマー」という新しい職業ができたように、蒸気機関車や路面電車などの鉄道の出現によって「運転士」という職業ができたように、トーキー映画の出現によって新しく生まれた職業、それが声優だと思います。 失業した弁士たちこそ、まっさきに飛びつくべき仕事だったはずだと思います。 それなのに実際には映画会社は、初期の声優として、売れていない俳優をあてていたそうです。 どうして無声映画の弁士たちは、トーキー映画の声優にならなかったのでしょうか?
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無声映画の弁士の語り口をご覧になったことはないでしょう。 一人で何役も演じる語り口は、落語家に近いのです。講談師と落語家を足したような芸です。吹き替えやアニメの声優とでは、芸風が異なります。日本で最初に長編アニメ映画を制作した東映動画でも、俳優さんを起用したのは、その方が自然な演技が期待できるからです。 そもそも、「風と共に去りぬ」のような大作が世に出たのは、1939年です。戦前には既に無声映画が時代遅れになっています。無声映画の王であったチャップリンでさえ、1940年からトーキーに移行しています。 一方、日本のアニメ映画は、1948年の東映動画が設立された以降です。 戦中と戦後の混乱の10年の間に、職の無い弁士がどうやって生きていけましょう。
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