解決済み
2つお答えしますね。まず、タテマエ論での回答です。 ①まず、自衛隊は、武官である隊員の自衛官に対し、文官である隊員に防衛事務官や防衛技官があります。 国際的に軍人(武官)と軍属その他(文官)は、どの国も採用から人事管理まで分けている手前、また日本も昭和20年までは文官と武官を別採用別管理にしていた経緯から、自衛隊員(防衛省職員)も、採用や人事管理を武官である自衛官と文官である事務官等に分けています。 (事務官も自衛官も、地方で働くこともあれば、本省で高級官僚として(自衛官の場合、昔で言う軍人官僚として)勤務することもあります。) ところがこれに対し、警察官は文官ですから、高等文官試験(国家総合職の前身)の経緯からも、文官として、つまり他の事務官と同じ側のカテゴリーで採用されるのです。 というのが、役人的な回答になります。 次に、本質的な回答をしますと、 ②もともと警察官も陸海軍士官も、事務官等に対して強い立場にありました。特に文官である警察官は、そもそも非警察官の警察事務官との区分も、同じ文官ということもあり曖昧ななか警察組織の中核を担いました。 他方陸海軍も、文官との力関係は武官優位ですが、文官の中では事務官より技官が強かったようです。やはり兵器開発などでの期待値の部分で、技官は軍人ではどうしてもまかなえない部分の強みがあったのだと思います。 しかし、事務官が軍人に対してそんなに不遇であれば、採用の観点で、人気が落ちてしまいます。そこで、昭和10年代、キャリア事務官のポストを急増(各司令部の理事官など)して、処遇改善キャンペーンのようなことをしました。警察と異なり、戦前の最後あたりから、軍の中では事務官も幹部ポスト枠がそれなりにあったのです。 あとは、ご存知のとおり、戦後の長い一時期は、防衛庁は事務官天下で、内部部局の局長など幹部ポストには自衛官は就けないだとか、自衛官の大臣補佐は文官で構成される防衛参事官を通してでないと無理だとか、文民ではない事務官隊員優位のいわゆる「文官統制」がありましたが、相次ぐ防衛省改革で文官統制が廃止され、ようやく、内局高級ポストに自衛官も就けるようになり、自衛官の上に事務官が君臨する防衛参事官制度も廃止になり、自衛官も事務官とともに直接大臣補佐するようになり、作戦など軍事専門的領域は統幕の専権事項で内局は口出ししないことになり、それに伴い内局の運用作戦部門は統幕長の下に置かれることになり、と、ようやく対等のところまできたのが防衛省です。 一言で言えば、警察は、戦前からの警察官優位がそのまま残っている。それも、もともと文官なので高等文官試験を引き継ぐ国家総合職試験という入口をそのままにした形で残っている。 他方、防衛省・自衛隊は、戦前戦中の旧軍時代から文官処遇を向上させる流れがあり、さらに敗戦後に文管優位時代が平成後期まで続き、武官である自衛官側の採用試験に対して文官である事務官側の試験が総合職試験として優勢だった(今も対等になっただけ)ところが相違点として残っています。 ですから、もし、防衛省も警察型にするなら、防衛省内局も自衛官が占め、または防衛大に事務官隊員コースが出来る(防衛医大には自衛官コースとともに技官コースがあります。)などになれば、総合職採用はなくなり、または大幅に縮小され、警察同様、事務官は国家一般職採用のみになる、なんてこともあるかもですが、今のところ対等で、この構図はそうそう変わらないと思います。 かといって警察が防衛省のように対等化を図らないといけない必要性や、防衛省型にしないといけない理由も見当たりませんから、警察は警察で現行通りなのだと思います。
なるほど:1
警察庁では同じ総合職でも,事務官・技官・警察官の採用区分がありますよ。 但し,警察庁長官は警察官以外なれませんが。
実際は、自衛官でも有ります。 幹部自衛官で、30才前後になりますとハードルが有ります。「指揮幕僚過程」と言う試験突破です。 (受験時の階級・年齢・回数制限有り) この試験を突破した人達が、自衛官のキャリア組で幕僚勤務本(社人事)となって、東京幕僚監部と地方へ2~3年位の間隔で行き来して偉く成ります。 将来の高級幹部です。 この試験を突破しない限り、一般幹部で定年です。 警察は選別した採用時になっていますが、自衛隊は一般幹部に入り30才前後に振り分けられます。
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