ああ、絶滅危惧種だねえ。伊豆か箱根の駅頭に、つい最近も立っているのは見たことがあるから、完全には消えていないんだろう。けど昭和40年代とかだと、ちょっとした温泉地の入口の駅前には、午後になると小旗(のぼり)を持った各旅館の番頭さんが何人も並んで、改札を出た人たちに向かって旅館名を連呼してたっけ。 あれ、時代が下ると、宿に予約していたお客を宿までお迎えする役割の方が大きくなって、「○○館にお泊まりの✕✕さまぁ、△△さまぁ」という呼び掛け方が増えた。当該の予約客がいることを確認したら、送迎車に乗せて宿まで運ぶ役割ね。駅の近くだったら旗持ったまま徒歩で宿まで案内していた。 でも昔は、予約客のお出迎えもあったけど、「客引き」の役割の方が大きかったんですよ。 昭和も戦後しばらくまで、電話が自宅にある家なんてほとんどない。屋外に公衆電話が普及するのも戦後しばらく時間がかかったから、旅先での通信手段はもっぱら「電報」。旅先から宿への予約も電報で頼んだのだが、あれは一方通行の通信手段で、部屋が空いてるのか泊まれるのかさえ現地に行くまで分からなかった。 だから旅館の予約は、日数に余裕をもって自宅から往復ハガキ送るとか、旅館にあて電報に「ヘンシンコウ(返信乞う)」と書き添えて自宅に旅館からの返信電報が届くのを待つとか。あとは代理店を通すか。とにかく旅館に予約を入れるのさえ、電話一本では済まない時代が割と最近まであったわけですよ。 実際は、そんな事前に手間ひまをかけて宿に予約を入れられるケースばかりじゃないから、当日現地で宿泊先を決めることも非常に多かった。 それで、駅頭に大勢の「客引きの番頭」が、宿のハッピ着て宿の旗持って、列車から降り立つ客を手ぐすねひいて待ち構えていたわけ。 だいたいは客一人引っ張るごとに幾ら、という歩合制だったから、みんな必死だった。 「ハイ今晩の宿の決まってないお客さま、ウチは安いよ安いよ、二食酒付きでたった○千円」とかさ。 客の側も心得たもので、そこで値段交渉したり宿同士で値段コンペさせたり。 当然悪質な客引きも多くて、言い値と全然違う宿泊料金ふんだくられたとか、部屋や料理が客引きが言ってることと違ってひどすぎるとかいう苦情も相次ぐ。 それで、今も一部の駅前にあるけど、旅館組合や観光協会が旅館案内所を作って、客の要望や懐具合に合わせてなるべく公平に宿を紹介しましょう、個別の宿が勝手に客引き行為をするのはやめましょう、ということになってきた。 そのあたりの時期から、駅頭に立つ番頭の役割は、予約客のお迎えにシフトしていった。 今は宿への送迎もスマートになって、駅前の決まった位置に宿名を大書したワゴンとかが停まっていて、客はその車のところまで行って自分の名を告げるようなスタイルになった。番頭さんが旗振って客の名前を連呼するようなこともほとんどなくなった。 あの客引き番頭ね、やかましく厚かましくはあったが温泉地らしい活気と賑やかさを与える影の功労者でもあった。 今はごく一部の駅頭に似たような人がほんのわずか立っているだけだろうが、仕事の内容が違っているから静かなものだ。昔の客引き番頭って、腰は低いけどけっこう殺気だっていたからね。 「駅前で宿のハッピ着て宿の旗持って客を待ってる番頭さん」自体は絶滅危惧種とは言え、まだまったくいなくなったわけではない。でも昭和40年代頃まで駅頭に何人もいた「客引き番頭」はとうに絶滅しているな。
3人が参考になると回答しました
修善寺駅や伊東駅で見かけます。
送迎ではそんな感じの旗や看板を見掛けるが、当時のような客引き客寄せは見ないな。 昔は団体でも半ドンで仕事終わったら貸切バス乗って宿に乗りつけ、幹事がその場で価格交渉したんだってね。
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