回答終了
パート主婦です。ただの愚痴です。職場の昼休憩でたまたま歳上の他のパートさん達と一緒になった時に休憩室のテレビでロシアの軍事進行のニュースをやっていて、皆さんが「これも大変よね〜」等喋り始めました。 私も民間人や子どもまで犠牲になっていることに大変心を痛めています。具体的に何が出来る訳でもないですが、母として子ども達やウクライナ兵だけでなくロシア兵にだって親はいるだろうと、全ての亡くなった方を思うと本当に悲しいです。 その会話は「大変よね〜」から始まり「この人達に比べたら私らの悩みなんて呑気なもんよね〜ワハハ!」「ほんとね〜旦那の愚痴くらいで済めば楽なもんよね〜生きるか死ぬかだもん、あっちは」みたいな、私の感覚だと不謹慎と感じるようなものでしたが、感覚は人それぞれだと思って黙って聞いていました。そしたら「ね〜あなただってそうでしょ〜!!この人達に比べたら幸せよね〜」と振られたので「そうですね」と答えました。かなりの苦笑いだったと思います。その苦笑いを逆に取られたらしく「あなたねー。贅沢よ!この人達に比べたら恵まれてると思わないと〜。」「私達なんかとは違うわよ、今の人はドライだもの〜」とか、思いもしない方向に話が進んでしまいました。 とにかくマシンガントークの方々なので口を挟む間もなく、そうじゃないと私が口を開く前に誰かが喋り始めあれよという間に話題が変わり、私はただのドライな人で終わってしまいました。すごくモヤモヤして悲しいやら悔しいやら。気持ちが切り替えられません。
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煩悩(心身を悩ませるはたらき)による問題です。 「煩悩」に身心が害されると、気持ちが平常心を失い、冷静さがなくなり、落ち着きもなくなります。 ある縁によって「煩悩」は生まれます。 またその縁と自分自身が持ち合わせている、考えや思想によって「煩悩」は生まれます。故に性格的な「好き嫌い」などの感情に大きな原因があります。 この感情を完全に無くせば問題はありませんが、実際問題そう言うわけにはまいりません。 世の中の人は、この「煩悩」の扱い方に迷い振り回されていると言っても過言ではありません。 人間が苦しむ原因は「煩悩」があるからです。 「煩悩」は残念ながら完全に無くすことが出来ません。 世の中には使い方一つで良くも悪くもなる事柄が多くあります。 「煩悩」もこの理屈と同じように、悪く考えるから「煩悩」として存在するのであり、良い方向性に考えを向けることで「煩悩」という存在が「菩提」(迷いのない状態)に変わってしまうのであります。 「煩悩」をよく火に譬えられますが、火も扱い方次第で生活を快適にしますし、一歩間違えると、火事を引き起こし生活を全て失う可能性を持っています。 「煩悩」もこの理屈と同じです。
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