別に幼稚園から高校までの教員も、理論上では高卒も居ます。 とは言え高卒の人が免許を取る方法がかなり限られているので、取って居る人はほぼ見かけない訳ですが、理論上は高卒でも可能ですし、ごくごく稀に高卒で教員になっている人は居ますよ。 同じように高卒でなる事が出来る物なので、そこまで整合性に欠けるという訳ではないですよ。 とりあえずはそんな感じですね。
高校までと大学では教員に求められることが違います。 高校までは学習指導要領(幼稚園は幼稚園教育要領)に従って決まったことを教えます。 相手は未熟な子どもや大人の階段を上ってる最中の多感な若者なので、発達心理や教育心理を理解した上で教科についての最低限の知識を有していることが求められます。 そのため免許制となっています。 大学の場合、まず専門分野が広すぎます。 例えば法学部でも、憲法、民法、刑事訴訟法、民事訴訟法、商法・会社法、国際法、法哲学、英米法、法制史…となり、民法でも物権が専門とか契約が専門とか人によって異なります。 そのため、そのような細かい分野を法律で規定しておくことは困難です。 また、大学教員の本業は授業ではなく研究です。 研究には免許ではなく本人の能力が求められます。 そのため、統一された免許はなく、大学設置基準に規定する資格要件を満たしていればいいことになっています。 なお、小学校の免許を持っている大学教員はいます。 (うちの大学の体育の先生はだいたい保健体育の免許持っておられますし、民法の先生で中学社会と高校公民持ってる先生おられます。心理学の先生は小学校と中高音楽持っておられます。)
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高校までの教育と大学の教育とは全く異なりますから どこもおかしなことはありません。整合する必要が無い。 高校までは既存の理屈を教えて使えるようにする教育。 記憶させる教育。問題や課題を見出す教育はしていない。 課題を解くこともほとんど教えていない。しかし,教え るべきことが国で決まっていて,それを理解させる責任 を教諭は持っている。だから資格試験に合格しないとい けない。 大学の教育は,研究をすることができる教員が,その 研究を通して得た情報や成果を使って学生を教育する。 その内容は既存の理屈とは限らない。既存のものを否定 するようなものも含まれている。そして,何を教えるべ きかは大学の学科で決めている。そしてそれを理解でき るかどうかは学生が勉強するかどうかで決まる。理解で きないのはその学生の実力が伴ってないとも極論できる。 教育目標は,学生が卒業して社会や会社で直面した課題 をいかに解くかという手法の一部を伝授すること。だか ら,まず教員は研究ができないといけない。研究ができ ない人は大学教員には採用されない。教育職だが研究者 であることが第一に求められる。だから採用時の資格は 博士号や修士号を要求する。
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