解決済み
もし気を悪くする人がいたらお許しください。 哲学を学んでいる方、なぜ哲学なのでしょうか?私の知り合いで哲学に詳しい人がいますが、人のプライベートなどをまるで裁判官のように問いただしてくる人がいます。隠し事が許せないのでしょうか? また少しでも間違っていると(その人が)感じると、相手の都合などおかまいなしに責めてきます。 そういう姿勢が真理の追究というものでしょうか?探究心というものなのでしょうか?自分の主張をどこまでも誰に対しても曲げないことが哲学者のあるべき態度なのでしょうか? 哲学を学ぶ動機は人それぞれだと思いますが、本当のところ哲学はなんのためにあるのでしょうか? 絶対に正しい答えでなくても結構です。 自分は~のために学んでいるとういう意見でも結構です。 どうぞお聞かせください。
ご親切な回答に感謝しています。私も哲学に興味がありますが、哲学がどのよう影響を人に与えるのかが気になり このような質問をしました。
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1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシアでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。 2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての―をもつ」「人生―」 Yahoo辞典より 哲学を学んでいるから・・・というよりも、相手の矛盾点ばかりを責め立てる人は、哲学者というより、その人の「人間性」に過ぎないと思います。そもそもの、哲学というもの自体、多様な哲学がありますし、その中で対立しているものもあります。 人それぞれです。 ただ、知り合いの方は、「自分は哲学を学んでいる」という意識だけで、相手を見ていない考えは、返って哲学とは、程遠い方かと存じます。ソクラテスも、「対話」を基本としていましたから。知り合いの方は、対話ではなく「論破」を重視しているのでしょう。 今回のケースは、人間性に問題ありかと思います。 私が考える「哲学」とは、「人間観」を知る上での手段の一つであると考えます。 つまり、答えは質問者様が既に出してくれている「自分は何のために学んでいる」と言うことです。 何を知り得たいのか、それを探す手がかりとしてあるのが、「哲学」 私は、そう考えます。 学問の「哲学」は、学んでいませんが、参考までに。
自己主張の頑固さや問いの執拗さはその人の性格であり、哲学は関係ありません。 哲学は東洋と西洋で違いはありますが、要は人生観や世界観などの根本原理を追求するためにあると思います。 学ぶ人はそういうのを知るために学ぶのではないでしょうか。 例えば、「本当のところ哲学はなんのためにあるのか」 ということを知りたいと思うことも哲学なのではないでしょうか。
哲学は関係ないです。ただその人の性格が悪いだけです。
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