奈良時代の仏教は寺で学問と修行のみを行いました。 今も法相宗とか律宗とか華厳宗などの奈良仏教は学問と修行だけで 葬儀や墓や檀家とは無関係です。 これこそ、「正しい仏教」の姿です。
なるほど:1
仏教の起源からたどると、寺の起源は僧伽(そうぎゃ;サンガ)で、修行者の集まる場所の意味です。 そもそも「僧」はサンスクリット語のサンガの音写で修行者の集まりのことです。 日本で言われる「僧侶」は修行者のことで「悟り」のために世捨て人になった人のことを言います。 僧侶の職務は、教えを後世に正しく伝えることです。 そのために経典を正確に暗証したり、その教えどおりの修行を行います。 その修行道場が寺の起源です。 「悟り」とは「成仏」のことですが、本当は「苦しみから逃れた状態」の意味です。 大乗仏教では死の状態も「苦しみから逃れた状態」なので、ある意味の悟りとされています。 仏教の目的の悟りは、苦しみから逃れることで、それを体得した人を覚者と言います。 よく「六道輪廻」と言いますが、六道とは大雑把に言えば 日本仏教は、1500年くらい前に仏教が中国を経て伝わったものですが、この仏教は北伝仏教といって、大乗仏教のことです。 今もタイやベトナムなどの東南アジアで信仰されているのは、南伝仏教で、俗に言われる小乗仏教のことで、今は上座部仏教と呼ばれています。 南伝仏教は中国に伝わらなかったので日本にも入ってこず、日本で信仰されているのは基本的に大乗仏教です。 したがって上座部仏教の多くは漢訳されていませんし、日本に伝わりませんでした。 この大乗仏教は、ブッダ(釈迦)が死んだ500年以上後に後世の人たちが創作したものです。 「お釈迦様はこのように考えたであろう」と想像して作られたものです。 上座部仏教はブッダの死後100年後あたりから出来たもので、原始仏教(ブッダが生きていた頃のもの)に比較的近いと言われます。 しかし、ブッダの生きていた時代は文字を使わなかったので、仏教は口伝えにより、暗唱で伝えられました。 かなり正確に伝承されたと言われますが、流石に500年後まではしっかり伝わらず、全くの別物になっています。 したがって、日本仏教はブッダの直接の教えとは別物です。 ブッダを超時空に存在する超人というか超能力者のようにとらえて、神格化されてしまいました。 西遊記には、逃げ惑う孫悟空が実はブッダの手のひらで踊らされていましたが、こういうのも創作です。 そんな超人の釈迦を信仰しているのが今の日本仏教です。 仏教は「苦しみから逃れるための教え」なので、苦しみのきっかけになることを遠ざけます。 妻子を持つと、失う時に苦しみとなるので、仏教では幸福も執着(煩悩)となります。 なので、出家者は結婚せず、子供もつくらず、世捨て人となって修行に明け暮れます。 でも、今の日本の僧侶は結婚して子供を作っています。 つまり出家していません。家出をしただけです。 江戸時代の寺請制度が僧侶の権威化を加速し、明治時代の太政官が出した「僧侶による妻帯、肉食、畜髪の解禁」により、ますます堕落しました。 口では「慈悲」とか「欲を捨てなさい」とか言っている日本の坊さんですが、その実態は破戒僧(戒律を破る僧侶)であり、生臭坊主(仏教で禁じられる生臭い食べ物(肉)を平気で食す坊さん)です。 まして、葬式とか故人の供養などはブッダの教えですらありません。 何故なら、ブッダは人が死んだ後どうなるかについて言及していないからです(無記といいます)。 人の善意に漬け込んだ金儲けでしかありません。 そこに悪意があるかないかの問題だけです。
寺とはお坊さんが修行をする所、教会はの教えを説く所
葬式、法事を行います。 たまに結婚式もあるそうです。 僧侶はお経を唱えて故人を弔います。
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