それにお金を出すって人さえいればその辺は自由です。 どれぐらい自由なのかは、お金を出す人が誰でどんな関係性なのかで決まることですから、絶対的正解のようなものがあると考えるのは無理があります。 下記の例のように多種多様な相手がいます。 ・長年仕事を貰っているメーカーの宣伝部「今回はこういうコンセプトです。」 ・親兄弟の勤め先の偉い人「プロからのご提案楽しみにしてます。」 ・友人の知人がこれから作るつもりの会社「友達価格で!」 また、新しい価値は常に世界のどこかでは求められ続けていますから、新しい価値を生み出せるデザイナーに仕事を依頼したい人というのも常にどこかにいます。
日本の「デザイナー」は他人が作ったものの表面の形を整えるのが仕事で、海外のデザイナーはコンセプトを決めるところから全体的にデザインする総合プロデューサー業だったりしますね。 例えば車のデザインをする場合、海外では「顧客にこういう形の走る喜びを提示するべきで、そのためにはこのエンジンで、この形で、このインテリアであるべきだ!」と決めるのがデザイナーの仕事であるのに対し、日本では「中身を作ったから外側の形をウケる感じで作っておいて」と言われる。それどころか、イメージを形にする技術のない上司の代わりにただ「こうですか」とご機嫌をうかがって作業するだけの存在かもしれない。 というわけで、デザインの仕事をどこの国、どこの企業でするかにより、できることはそれぞれ違う。 また、何かしら良い物を作ろうとした時に、どんなものを「良い」と思うかは人それぞれ。そもそも人間は未来においてどんな生活をするべきなのか?神を信じて質素に生きるべきだという人にとっての「良いデザイン」と、野生に戻って本能のままに生きるべきだという人にとっての「良いデザイン」、マザーコンピュータに管理されてのほほんと生きたい人にとっての「良いデザイン」、自然を焼いても人間が便利なら良いという人もいれば、人間の作る芸術より自然そのままの景色のほうが美しいという人もいる。それぞれみんな違う。 自分の考える「良い」を形にしようとした時点で、自分の思想は出る。それが結果として、突飛な見た目をしていようが、ありきたりな見た目だろうが、どうだろうと関係なく、「これこそが人間にとって良い物だ」と思って形にするのであれば、作っている人が自分の望む未来を作っているわけで意義がある。 自分の作っているものが自分の考える良い物というわけですらないというなら、その人は何も未来を作っていないわけで、それは人間の仕事じゃない。そして、人間にどこまで人間らしい仕事をさせるかは、国や企業によりそれぞれ違う。
> でもコンセプトや設定を貫かないとデザインとは言えませんよね。 ・ 個性やオリジナリティは出せれば それに越したことは無いですが、大概は難しい事です。 デザインは、ある意味「問題の解決」ですから、解決出来さえすれば良いとも言えます。 > デザインするときに、どういうところを自分のしたいようにしていいのでしょうか? ・ より良く成るなら すれば良いし、クライアント・依頼者が最終的には決めるので、1つだけではなくて幾つかの案を出しておいて選んでもらうように成るのですから、あなたが最初から心配する事もないでしょう。 > またそれはデザインする上で許されることなのですか? ・ 上の回答と同じです。 ・余談ですが・・・直ぐ上のIDをクリックすると(豆知識など)ブログもあります。 規則で直接貼れないので悪しからず。
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