解決済み
全員を信頼している訳じゃないよ。 仕事のデキない人もいるから、そこは注意しながらね。 もちろん信頼できる人間もいる。 そういう人には安心して仕事を任せられる。 デキない人間に任せないといけない時は 常に進捗具合 や 途中経過 を見ながら、間違いやミスが起きないよう監視はする。 デキる人間が多ければ、やり易い。 デキない人間が多いと 余計な仕事が増えるから生産性は落ちるね。
職場の信頼関係というのは、 ある程度「その仕事のレベル」にも比例する。 職場にいる個人の人間性といったこととは 別の次元の話でもある。 例えば、給与・待遇が十分であれば、 個人的な利益を得るために 不正を侵すリスクに見合わない。 人員が多ければ、 配置替えも容易なので 多少の人間関係の軋轢も緩和される。 人材のレベルが高ければ、 くだらないイジメに対しては 自浄作用が機能する。 もちろん、組織だったものは起こらない。 例外が無いとは言えないが、 殆どの大企業・有名企業は 組織のシステムとして、 職場の空気がギスギスしないように 体制が敷かれているものだよ。
信頼か・・・・・・ 貴方がお幾つなのか存ぜぬが 人は口では何とでも言えるし 他人の心の奥底など解らない まして・・・・ 貴方の想いと相手の想いが同一などと 過信しない方が良いとも想える 貴方の信頼する人は果たして 我が身を犠牲にしてでも 貴方を助けてくれるだろうか?? 逆に・・・ 貴方は自分の身を犠牲にしてでも 貴方が信頼するその人を助けられるだろうか?? 殆どの人間は身は弱く心は脆い生き物だ 平時では何とでも言えるがいざそうなったら 本人でもどんな行動を取るか解らないのが真実だ 我が身を犠牲にしてでも貴方を助けるか あるいは貴方を蹴落としてでも自分が助かろうとするか 解らないしどちらの行動も非難はできない 真に人と人との間に信頼関係が構築できるのなら 国家間の争いも近親者同士の殺し合いも 無くなるかもう少し減ってもいいはずだが この国の殺傷事件の約4割は近親者同士なのが現実だ 少し穿った見方ですが・・・・ 歳を取り互いに生活が掛かってくると 人との付き合い方、接し方も どうなるか解らない憶測や希望、 願望と言う不確かな信頼感よりも 打算的な損得勘定で付き合う様になる だから私は常々、 同僚や部下にはっきりと言っている 私は君達を助けられる範囲内では助けるが 我が身や生活を犠牲にしてまでは助けられないから 逆の場合でも私は君達にそれ以上の助けは望まない くれぐれも私の力を過信しない様に・・・とね 結局私は臆病な小心者なんだと想う 誰かを裏切ったと言う罪悪感は持ちたくないし 誰かにそう想われ続けるのに私は耐えられそうにない 誰かに裏切られたと言う想いにも疲れた だから貴方も・・・・ 人との信頼=過信もほどほどにね・・・・。
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