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日本海軍の航空無線電話・・・は実は使えた?

日本海軍の航空無線電話・・・は実は使えた?使い物にならないと、とかく書物で書かれて悪評高い航空機の無線電話ですが、当時の搭乗員の方々は内地では問題なく使えたと証言しています。 ただ、南方に進出した時は全く使い物にならなかったそうです、このことから、零戦の無線電話が悪いのではなくて南方の高温多湿の環境が原因で電子部品、特に劣化しやすいコンデンサ-が劣化してしまい機能しなくなったのではないかとの見方がありますがどうでしょうか? 技術力の差と云われればそれまでだが、当時の米軍の無線電話は、南方でもちゃんと使えたは何故だろうかと思ってしまう。 また、日本軍はこの事に気づいていなかったのだろうか? 何故、零戦の無線機だけでなく他の機体の無線電話はどうだったのかと思います、因みに隼の無線電話は南方では不調だったようです。 知っている方が居ましたらご回答願います。

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回答(1件)

  • ベストアンサー

    過去にも知恵袋で同様な質問があり、ベストアンサーの回答がもっともらしく書いてありますので、まずご参照ください。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387147248 この回答で気になったのは、不適切な説明があることです。 まず、どんな無線機が使われたか、ウィキペディアからの引用ですが、 九六式空一号無線電話機 通達距離:対地電話通信、約70Km 周波数:3,800-5,800KHz 電波形式:A1(電信)、A3(電話) 送信出力:約7W 送信機:水晶発振・輻射UY-503、陽極変調UY-503 電源:送受信機各直流変圧器(入力12V) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%85%AD%E5%BC%8F%E7%A9%BA%E4%B8%80%E5%8F%B7%E7%84%A1%E7%B7%9A%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E6%A9%9F ということで、短波帯のローバンドを使用していました。波長で言えば、50m以上になります。アンテナは指向性アンテナは無理で、単なるロングワイヤーでした。このころ、真空管ですのでハイインピーダンスであり、ローインピーダンスの同軸ケーブルは使用されませんでした。ですのでロングワイヤに簡単なLCカプラでマッチングさせました。 A1/A3送信機と受信機が独立形として非常に重い装備を戦闘機に積んだとされるのですが、私はここに疑問を感じました。 電話方式は、部品として点数が多くM重いトランスをたくさん使います。電源トランス、電源チョークトランス、変調トランスなどです。全部で約17㎏程だったらしいですが、これを実際に搭載して戦闘を行ったとは思えません。理由は、少しでも軽くするために金属からべニア筐体にまでして開発したゼロ戦など、重量のあるものは先に削がれた可能性があります。バッテリー能力が低かったのでヒーター駆動する電力余裕がなく、戦闘員は寒さに耐えながら操縦桿を握ったそうです。そんなに電力がひっ迫している中、電力の無駄食いをする真空管の数を減らすことは喫緊の課題だったでしょう。 ですので、開戦間もないころは余裕があったので、割とハイスペックだったが、特攻隊編成される頃は簡素な無線機であったと思われます。 電話機能は、戦闘機搭載時には実用にならなかったでしょう。重量のみならず、振幅変調形式でのエンジンからのイグニッションノイズによる信号マスクで通信不能だったからです。 何を言いたいかと言うと、つまり電話機能は外されたと考えるのが合理的です。 無線電話通信そのものは、基地局および艦船間通信で実用されたと考えます。 ですので、時期的なもので無線電話ができたり、できなかったりということが後世になって無線電話は「使えた/使えなかった」と混乱した証言となったのではないかと考えられます。 無線機表面のデザインは電話機能を残したまま、中身の部品をごっそり抜くような改造がなされた状態であったと考えられます。 戦闘員からしたら、電話しようとしても使えなかったという証言があっても不思議ではありません。 ただし、女工さんが無線機を作ったからとか部品の品質が悪い云々の話は、ある意味「冒涜」とさえ言えるのではないかと思います。 私が小学生のころ昭和30年代に発行された子供の科学という本を図書館で読んだことが有ります。その一部の記事にショックを受け、無線小僧が誕生しました。 「ゼロ戦の受信機は0-V-1(高周波増幅無し・真空管再生検波方式・低周波増幅一段)でマグネチックレシーバ使用、送信部は水晶発振ー電力増幅の2ステージ構成」という解説記事をJA1HMN故野川清三郎さんが執筆されていたのを覚えています。 送信機は電鍵がカソードを直接キーイングするタイプで送信受信切り替えせずに行う方式でした。かっこよく言えばフルブレークインだったということですが、ぎりぎりまで簡素化した結果だと思います。 実戦では大腿部にくっつけた電鍵を操作する暇なんてなかったのでまともな通信はできなかったようです。ですので特攻では電鍵を押しっぱなしにして、送信し続け、電波が途切れた時が絶命の「時」であり、基地局もしくは艦船局の通信士は「特攻成功セリ!」と内地に報告したようです。 ということで、開発当初の無線機は使える無線機だったが、戦闘機に搭載し実用する時期には電話機能なしの無線電信しかなかったということだと思います。 >因みに隼の無線電話は南方では不調だった についてですが、南方戦線ではメンテナンス部品が十分供給できなかった事が一因だと思いますが、艦船局もしくは基地局との比較的近距離時通信では、信号強度が十分にありノイズを抑えて通信できたでしょうが、敵艦隊に近い部分では信号強度が弱くなり実用にならなかったということだと思います。

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