解決済み
一般大学から海上自衛隊幹部候補生に採用され定年 まで勤務された方にお尋ねします。 充足され満足の出来る人生でしたか?私も40年近く前、江田島の海上自衛隊幹部候補生学校 に入校しましたが、水が(?)合わないか中途退校しました。 以後、一般企業で働き、定年後、幾つか資格を持っている で仕事量・収入共減りましたが再雇用を受けております。 自分としては、分・能力相応の人生だったかと諦観?してお ります。 自由な時間が増え、他愛無い昔の思い出が気になりました。 愚問ですが、ご意見をお聞かせ下さい。
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回答が付かないようなので、曹で退職した私ですが回答します。 一術校に約6年勤務、普通科学生、高等科学生 これらを含むと江田島生活が8年位で、 一般幹部候補生学校の学生の生活ぶりを近くで見てきました。 昭和40年代終わりに、2士で呉教育隊に入隊しています。 当初の予定は一任期or二任期。長くても五年間の計画での入隊です。 目的は遠洋航海で、海外へ行く。でしたのでね。同時に資金も貯める。 団体生活が嫌いでしたので、かなり苦労しています。 体力もそんなにはなく、特に水泳と持久走は苦労しています。 ただ、五年間は辛抱しようと心に決めてました。 選んだ職種は電子整備員。文字通りその名前のままの仕事です。 入隊前から自衛官になるなら、コレと決めての入隊。 体力なしですか、一応は学力の方はまぁ十分でしたので、希望通りに。 この仕事が実は面白かった。コツコツタイプの私には適職でした。 で、団体生活は嫌い、体力なしで辛い、 でも結果的には定年退職まで勤めあげられました。 ひとつの仕事をやり遂げたことで、今は悠々自適な暮らしをしています。 それなりに満足しています。 5年で退職して、資金を持って脱日本することが目的でした。 もしとの計画通りしてたら、どんなだったろう?と考えることはあります。 でも、30数年間回り道をしましたが、 今現在は経済的な心配をせず、おかげさまで海外三昧が出来ています。
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