解決済み
底辺労働に勤しむ東大出の弁理士って最近多いんですか?バブル崩壊直後、弁理士試験が司法試験よりも難関だった頃に合格した弁理士と出会いました。彼は自分の経営した事務所は全くの閑古鳥で、深夜の道路工事の誘導員のバイトや介護施設での勤務経験もあるそうで・・・驚きました。 制御技術者が趣味で受験して合格したために、先生なのに出世させてくれない大手メーカを辞めたものの、制御技術の明細書すらも書けずに、生活に困窮している弁理士がいます。大手メーカを辞める際の送迎会の挨拶で「会社の給料より予備校講師のバイトの方が高給だから」と挨拶してヒンシュク買って辞めたものの、その後進んだ知財の権威教授の弟子になったものの教授とウマが合わなく教授への道を挫折し、その後、元々法律系のために特許明細書が書けずに中堅特許事務所をクビにされ、何だか妙な検定試験を設立して、今やマイナーな大学の教授を「辛うじて」している知人もいます。弁理士では無いものの、東工大出身にも拘らず「丸一日掛かっても特許請求の範囲が書けない」と悩んでいた企業知財部の知人もいます。 50年前に較べれば、明細書のボリュームは半端じゃないです。・・・しかし、難関大理工系卒や弁理士資格有無と、実務能力って、果たしてそこまで乖離しているのですか?そんな乖離が知財業界での常識なのでしょうか?
知財業界が今や凋落していることは事実です(弁理士の所得水準も)。・・・しかし、ノーベル賞受賞者を輩出している近年の日本で、特許出願件数が欧米や中韓と反対に右肩下がりなのは何故なのでしょうか?弱電メーカの失態や、中国での技術パクリ、大手でのノルマ出願廃止、以外に何の理由があるのでしょうか?
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(国内)出願件数右肩下がりは、以下のような理由もありますよ。 ここ数年でPCT出願がかなり増えている・・2倍ぐらいだったかな?・・・ので、おそらく、出願関係の予算のうち、国内は減らして/厳選して、浮いた分を外国出願に回しているのではないかと思います。PCTだと、1件で、通常、最低3カ国以上には移行しますし、各々の国への移行手続き費用の総額は国内出願数件分かそれ以上ですから。何年か前に、あちこちの事務所に出入りしている翻訳会社の営業担当の人と与太話した際に、国内は減っているが外国は増えている事務所が多いと言ってましたね。一時期、かなりの円高だった時代に海外展開が加速したのも影響しているのではないかと思いますが。ただ、会社により、国内出願件数>>外国出願件数というところもあれば、国内出願件数<<外国出願件数というところもあったりと、色々ですが。 また、知財担当の方から聞いたのですが、出願したいのだが、ネタが出てこないというのがあるようです(ある会社では、沢山出願できる程の予算を持っているわけでもないのに、それでも予算が消化できないとぼやいてましたね)。技術開発をやり尽くして(製品が成熟化して)あんまりネタが見つからなくなってきたというケースや、リーマンショック後に技術者のリストラをやりすぎてしまって、ネタを出せる優秀な人たちから優先的に辞めてしまったので、人的資源という意味で技術開発力が質、量ともに大幅に低下してしまったケースなどがあるようです。
多いと思います。 明細書作成は職人芸に近いから、弁理士資格の取得とは全く関係ない。一人前になるには時間がかかります。その下積み期間は人によります。人間は上達するものです。必ず上達します。上達のスピードは人によって早いか遅いかはあります。明細書は必ず書けるようになります。 しかしながら、特許事務所の大多数は即戦力を求めます。情けないことに、人を育てようと考える事務所は少ないのが現実です。弁理士試験の合格者が増えたことにより、上達が遅い人の首を切って、上達の早い人を採用する傾向になっています。特に、都会の事務所はその傾向が強いと思われます。経営者が自分だけ良ければ人なんかどうでもいいという考えになっています。
まず、「弁理士試験が司法試験よりも難関だった頃」などという、大それた時代はありません。確かに私の合格した頃は、特許、実案、意匠、商標、条約の他に、選択3科目があり、この選択3科目というのがくせ者で、特に私などの新規分野の技術はなく、大変だったのと、会社を1週間程度休む必要がありました。この休みを取るのが最大のネックで、私などは、たった1回のチャンスをものにできたのは非常に幸運で(たまたま、何のきっかけか、研究所などと言う暇なところに配属され、上司が仲の良かった人で、特別に許してくれた。)、この時不合格なら諦める以外になかったでしょう。翌年には、試験を受けたことがばれて、また、激職の職場に配属されましたので。 同期合格者のほとんどは、直ぐに独立してしまい、もう、時代への引き継ぎを行っているでしょうが、失敗したのは1人だけですね。この人は、1社だけに頼っていたために、その会社から切られたときに仕事がなくなり、廃業しています。 この頃は、クライアントを見つけることは非常に容易でした。 今でもそうですが、弁理士試験に合格することと、弁理士、特に明細書を書け、中間処理をうまくこなせる能力があるということは、全く別のことです。(しかし、さすがに東大卒で、たかが明細書が書けないというのは稀だと思いますが。なにせ、あそこは、工学部でも、2年間は、専門を決めさせず、その間に、法学、経済学まで、たたき込むはずですからね。今はどうか知りませんが、2年間は、体育が必須科目でしたからね。) しかし、昔の合格者は、浪人して何年も受けている、事務所の2代目、3代目は別として、少なくとも、法文を自分の知識で解析して大系的に把握し、しっかりとした論文を書ける能力を持ち、かつ、技術3科目に合格できるだけの能力を持っていたと言うことです。今のように、受験機関が何でも教えてくれる時代とは違って全部自分で本を読んで理解しなければならない時代だったわけでして。 このころの技術畑出身の合格者でそういう目に会っているとしたら、3σ外れていると思いますが。 しかし、私は、勤務弁理士として、中途退職するまで十数年会社にいたので、その間にバブルがはじけ、出願件数が激減し、クライアントを見つけるのに非常に苦労しました。これも、たまたま、運良く見つかったというのが実情です。 少なくとも、合格者が100人以下だった頃の合格者は、今、深夜の道路工事の誘導員のバイトや介護施設が出来る年齢ではないはずです。前にも言ったように、3σ外れて知ますね。事務系で、弁理士になった人などは、かって、そうした目に会ったった人もいるかも知れませんね。 とにかく、合格者が100人を超えるようになってから、特に、選択科目が優しくなり、免除まであるようになってからは滅茶苦茶ですね。最大800人くらい合格させていた時代もありますね。そういう合格者の中には、明細書を書けないのだってざらにいるでしょう 弁理士合格者のレベルの低下について 甲1号証 私の息子 国語が苦手で、国語が入試科目にない大学しか行けなかったくせに、弁理士試験は3年で合格。まあ、遠隔地にいたから、3年かかったことについては許せるとしても、私に質問してくる内容から、レベルは分かっていた。国語が苦手では明細書を書くのに苦労すると思ったし、弁理士の将来に見切りをつけていたから、後は継がせず、いまでも研究職のままでいる。 甲2号証 試験委員だった、昔の仲間の話 「口述の試験委員をやったが、9割は不合格にしたかったね。全く分かっていない。しかし、どうしようもないんだよな。何人合格させろと言うノルマがあるからね。」 甲3号証 10人くらい雇って事務所を経営していて、今は息子に譲って、ぼけ防止程度の仕事をしている昔の仲間の話 「この間、うちの事務所の奴が、論文試験に受かってね。俺も張り切って、口述の模擬試験をやってやったんだが、驚いたね。まともに答えられないんだよな。条文集を前に置いておいて、本番でも論文集を見ることは許されるから、条文を見ていいんだよ。と言っても、条文集が、ろくに引けないんだよな。それでも、本試験は、立派に受かりやがったよ。ガハハ……。」 現実に、私の知財協時代の仲間は、50歳を超えてからの独立だったのに、機械、電機、化学系とも、立派にやっています。ただ、気の毒なのは薬品系ですね。この連中の能力はピカいちですが、なにせ、出願数が少なく、他社からの仕事は絶対に来ませんし。しかし、勤めていた会社からは、それなりの仕事をもらうことができ、一応事務所(自宅が多い)の経営は成り立っているようです。 補足について 最近の出願の低下は、企業経営が厳しくなり、無駄な出願はしなくなってきたからです。その代わり、競業他社が絞られている分野では、集中的に出願を行い、シェアの確保、増大に懸命ですね。 事務所も、厳選、しかも、大事務所に集中させる傾向にあります。 今後、弁理士となっても、独立できるチャンスはゼロに近いでしょう。去年あたりからは、「痛烈なる反省」の下に、合格者を絞っているようですが、今後、状況は改善されることはなく、寡占化がすすむでしょう。
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