解決済み
オリンピックのエンブレム問題についてです、。私はデザインの専門学校に通っているので、今回の騒動は学校では持ちきりです。私の周りの人たちは佐野さんを擁護する人ばかりで、「デザインを作るにあたって形が似てくるのはよくあること。」「形が似てもコンセプトや中身は全然違う。素人に何がわかる」「パクリ パクリという人がいるから 良いデザインも、悪いデザインになってしまう。」といった意見ばかりです。 私もパクリだとはおもいません。デザインは真似する気は無くても形が多少似てもコンセプトや意図、中身、考え方は違うというのはよくあることなのです。しかし、パクリ パクリという国民に相手にデザインを作っている訳ですし、エンブレムのお金をもらっているのですから パクリという人達の意見も聞くのがデザイナーのあるべき姿だと思いましたし、デザイナーだけのオリンピックじゃないので疑惑がないエンブレムの方が気持ち良く開催を迎えられるはずです。それに専門的なことなんて皆が理解しているわけじゃないです。 佐野さんは色んな考えの人達がいるということを考えてなかっただけなような気がします。 トートバックの件などの疑惑もあるので パクリじゃないという説得力も薄まってしまいましたし、実際パクリかパクリかじゃないかは佐野さん自身と、その関係者しか分かりませんけどね、。 みなさんはどのように考えていますか?
誤字。 ×国民に相手に ○国民相手に
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デザイナーには、特徴があります。それぞれの感性がある程度一貫していると思います。建物を見ただけで、絵画を見ただけで、洋服を見ただけで、この建物は安藤忠雄作品だとか、ダリの絵だとか、コシノ作品だとか、作家のイメージがあると思います。しかし、佐野氏にはその一貫性がまったくありません。そのすべての作品に模倣と疑われる作品が多いのです。 オリンピックエンブレムにしてもその原案は、誰が見ても「ヤン・チヒョルト展」のポスターそのものです。その同展に佐野氏が行っていたことも確認されています。しかし、その展示会についての内容は覚えてないと発言したのです。ツイッターで同展を見に行ったことは認めて高評価しておきながら、内容は記憶していないと言っているのです!本当に怪しい限りです。 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5940.html サントリーのトートバックしかり、次々模倣が疑われる作品ばかりです。 このまま、オリンピックエンブレムを取り下げなければ、過去の仕事がすべて暴露されてしまう状況です。今回の決定は仕方がないところです。 一方、これだけ情報化社会になってしまうと似たような作品になってしまうことは良くあることです。 しかし、この原案から最終案に至った経緯はあります。最終案にたどり着くまで大変な苦労をデザイナーはし、自己のイメージとの葛藤の繰り返しです。 そのように苦労して完成させた作品について、デザイナーであれば、奥深い説明ができるはずです。しかし、佐野氏にはそれが無い。 他人のデザインを模倣して、楽して多額の報奨金をもらい、そのデザインについての思い入れがまったく感じられないのです。 模倣がバレれば、スタッフのせいにし、マスコミから逃げ惑って、雲隠れ。。。 それでは、佐野氏の疑念は解消されません。 今回のエンブレムは、とても優れた作品です。しかし、優れているのは、佐野氏ではなく、ヤン・チヒョルト氏なのです! 世界的な映画作品で「スターウォーズ」があります。この作品を生み出したジョージルーカスは、黒沢明監督を心から尊敬し、黒沢作品の「隠し砦の三悪人」を見てスターウォーズのインスピレーション得たと公言しています。 しかし、スターウォーズが隠し砦の三悪人の模倣とはされていません。オリジナル作品として高い評価を得ています。 また、画家のゴッホは、葛飾北斎の浮世絵を見て画風が確立したと言っています。 それと同じで、何かからインスピレーションを得てもそれは単なるきっかけです。そこから本当のオリジナル作品をどう発表できるかが、デザイナーとしての本当の資質なのです。 佐野氏もヤン・チヒョルト氏からインスピレーションを得て、今回のエンブレムを発想し、最終的な作品が完成したと明言し、その基となったヤン・チヒョルト氏へ使用許可を得るとか、共同出品にするとか、使用料を支払って提携するとか、していれば、高い評価を得て、今回の混乱は無かったと思います。他人の物を勝手に借用しておいて、お金と名声はすべて自分の物では、都合が良すぎます。
なるほど:3
この問題については、デザイン業界サイドの認識と一般の形との認識に大きなズレがあるように思います。 たとえば、「パクリ」という言葉で一般の方は「盗作」と「引用」を同じものと考えて等しく非難されますがこの二つは別の意味を持つ言葉です。 「引用」を否定するなら、デザインのみならず、音楽であれ舞踏であれ映画であれ、いかなる創作行為も成り立ちません。創造の歴史というのは、イメージや方法論の引用とその改変、つまり先人の作ったものをより良く編集し直すということで成り立っているのです。 どんなに新しいアイデアに見えても、歴史を遡れば必ずその原型となるものは見つかります。そしてその見つかった原型についても再び歴史を遡ればそれの原型となったものが見つかります。延々とこの繰り返しです。完全なオリジナルなんて無いのです。 浮世絵だって原型となるパターンがあり、それに様々な編集を加えることであれだけの多様性のある表現となっていることをみても、全く0から生み出されたオリジナルな作品などこの世にはないことは分かると思います。もし、「引用」=「盗作」なら、浮世絵は最初の一枚以外は全て「盗作」ですから焼き捨ててしまわないといけない恥ずべき文化です。 一般の人は「引用」という事実だけで簡単に「盗作」と決めつけてしまいますが、これでは、どのジャンルの創造者も何一つ作ることが出来なくなってしまいます。創造活動に関わらない人は単純に「誰にも影響を受けず、0からものを作ることが出来る」と考えがちですが、これは歴史を見ても分かる通りひとつの幻想に過ぎません。創作の現場の人間はそんな幻想に浸っている訳にはいかないのです。 今回の件でも、トートバックの作品何点かについては、デザイン業界サイドでも、完全にアウトであると認めています。それは「引用」自体が悪いからということでなく、「引用」の仕方がダメだったからです。あのようにあまりにも直接的で編集の手間を省いた「引用」は「盗作」と言われても仕方がありません。法的な手続きをクリアしていなかったのもアウトです。このように、デザイン業界サイドもきちんとダメなものはダメだと認めています。 デザイン業界サイドだって、一般の方と同様に似ているものは似ていると感じます。ただ、創造活動は「引用」とその編集という作業抜きには出来ませんから、表面的に似ているという現象だけで即「盗作」という判断はしません。ここでも問われるのは一般の方にとってはどうでもいいと考えられている作成過程であり、これがトートバッグの件のようにダメであれば「盗作」ですが、エンブレムの件ではそうでないとの判断があったわけです。 頭ごなしにエンブレムは盗作であるという方々には、まず「引用」と「盗作」の違いと、創作活動は「引用」とそれの編集であるということを理解して頂きたいと願います。その上で編集がダメで「盗作」であるという意見であるなら、それは理解出来ます。「引用」それ自体を否定するのはあまりに乱暴です。 ーーーーーーーー まあ、エンブレムの騒動の本質はこうした類似というような美学的な問題ではなく、あのデザインが大衆に受け入れられなかったという社会学的な問題に尽きると思います。 皆が、なんだか暗いし、オリンピックらしくないなぁ、と感じていたところに誰かがトートバックなどの盗作を指摘したので、それがそのままエンブレム否定の根拠に据えられて炎上したということでしょう。 一般の人にとっては盗作とか、そうでないとかそんなことは実際はどうでも良いのではないでしょうか。全員がそうだと言いませんが、食いつき易い格好のネタが上がったので面白おかしく楽しんでいるというのが大方なのでは。 こういう問題については最終的には法廷での決着を見ない限りは誰にも確たることは言えないはずです。色々言うのは自由ですが、ネットの民間法廷で誰かを裁いたところで、どうにもなりません。
よっぽど手の込んだ複雑な構図のもので、他に似たものがあるというなら 盗作を疑われても仕方ないですが、 あんなにシンプルなデザインのものなんか、世界中探せばごまんと似たもの が出てくるはず。 アルファベットのTをモチーフにエンブレムを考えろって言われたら、 誰がやったって、だいたいあんな感じになると思う。 パクリというほどのデザインじゃないでしょ。 だからパクリじゃないと思う。似ちゃっただけ。
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