解決済み
▽日下公人氏の父上様は、三高を経て東京帝大法学部を出た裁判官 だったそうです。陸軍の裁判官だったと書いてありましたが、陸軍の 裁判官とは何ですか?戦時中だけ(天皇により?)陸軍の裁判官に任命されていたという事ですか?大学在学中に 高文司法科に合格し、司法修習(?)を経て、天皇により普通の裁判官に任命されて、戦時中は、陸軍専属の裁判官をしていたという事でしょうか?また海軍の裁判官とかもあったのですか?陸軍の裁判官とは どういうものでどうやってなるのか、わかる方、わかりやすく 教えて下さい。ご回答宜しくお願い致します。
78閲覧
戦前の日本では、軍法会議、という名前の特別な法廷がありました。(今も軍隊を持つ国の多くで存在します)たとえば、沖縄で不祥事を起こした米軍人の多くは日本の裁判所では裁かれませんが、米軍の軍法会議で裁かれ、処分を受けます。 軍法会議については、Wikiもありますし、詳しい研究があちこちに発表されてますのでそちらをどうぞ。ごく簡単にいえば、例外も沢山ありますが、軍人や軍属の犯罪や、たとえば敵前逃亡だとか、上官の命令に背いたなどの軍紀違反を裁く、軍の中の裁判所だと考えればいいでしょう。陸軍、海軍それぞれに、戦時中だけではなく平時からありました。 で、その裁判を行うのは主として軍人だったのですが、彼らは法律の専門家ではありませんから、それを補う形で裁判に加わるのが「軍法務官」という人達で、多分このことを指していると思われます。任命される時点では少尉という下っ端ですから、天皇陛下の勅任ではありません。 どうやって法務官になったか、は時代によりいろいろです。割と有名な例だけをあげると 元最高裁長官矢口洪一氏 1943 年 9 月 23 日に京都帝大法学部を繰上げ卒業、すぐに同月 30 日に海軍法務見習尉官になり, 翌年3月に海軍法務中尉に任官する。 4 月に佐世保鎮守府軍法会議付に配属され, 翌年 1945 年 3 月に海軍法務大尉へ昇進。 つまり,この方は「正直なところ, 法務官から裁判を始めました」 と本人が書いているように、いきなり法務官です。まあ戦時中ですからね。司法修習なんてナシ。 小川関治郎氏(2.26事件の裁判の法務官) 明治法律学校 (現明治大学)卒業後、1904 年 12 月には司法官試補、1906 年 12 月に予備判事として横浜地方裁判所詰、その後1907年に陸軍法務官(当時の官名は理事) こちらは最初は法務官制度がなかったので普通に予備判事からの転身ですね。 歴代の最高裁長官のうち10人は法務官経験者です。
< 質問に関する求人 >
軍人(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る