それは大学受験で聞くより、言語で聞くべきでしたね。 まず、言葉の壁があることを指摘しますが、しかし言葉の壁にばかり気をとられると肝心のことを忘れてしまうことがあります。 それが非常に厄介です。 例えば文化の壁があることは、分かっているつもりでもついつい忘れるものです。 東南アジアでは、子供の頭は神聖なものである場合が多く、イスラム教では左手は不浄なものであるため、子供の頭を左手で撫でて大きなトラブルになることもあります。 (本当です) では治療現場ではどのような教訓として受け止めるべきでしょうか。 まず、言葉の壁に関しては、比較的使える人が多い英語でコミュニケーションを試みたり、筆談やイラスト、ジェスチャーを使ったりすることもあるでしょう。 (ジェスチャーがトラブルになることもありますが) きっと医療スタッフは患者や家族を安心させようと必死になるのでしょう。 見知らぬ外国、言葉が通じない、けがや病気でただでさえ焦ってしまう。 不安に襲われた外国人を宥めるのに必死なはずです。 しかし、それでは一方通行のコミュニケーションになりがちです。 相手が何を求めているのか、日本人相手に普段行っている配慮以外に何かないのか。 その可能性を考えながら、相手からも情報を聞き出す姿勢こそ、本来、外国人相手に最も必要とされる配慮でしょう。 当たり前ですが、看護の世界のことですから、たとえどのような患者を相手にしても、平等な対応が求められます。 それは大前提として、日本人相手にするのと外国人相手にするのとが全く同じ対応では、実は日本人と外国人を平等に扱えない、という話でした。 立場の弱い人に、立場の強い人よりも優先的な措置を講じることを、アファーマティブアクションと言います。 何が平等なのかというのは、実は非常に難解な話題でありますが、しかしここで大事なことは、平等であろうと思う心と、それを実現するために何ができるのか、ということです。 あなたが見知らぬ遠い国でけがや病気に倒れたとき、どんな対応をされたいでしょうか。 それも一つの答えになるのではないでしょうか。 論の組み立てとしては、 1.主張 2.具体的事例 3.外国人相手にすべき配慮 4.看護学から見た平等 5.結論 このような組み立て方はいかがですか。
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