福澤諭吉存命中から明治14年(1881年)の政変で明治政府の官吏から矢野文雄、尾崎行雄、犬養毅、牛場卓造、中上川彦次郎、津田純一、森下岩楠、馬場辰猪等の慶應義塾出身者が失脚した大隈重信系官吏として追放された為、官界への進路を閉ざされた慶應義塾は已む無く三井や三菱、古河、安田、森村、川崎、浅野等の財閥系企業の実業界や福澤諭吉が創設した時事新報の様な新聞社等の言論界に慶應義塾の卒業生達は進出していかざるを得なかったのです。 しかしながら三井の工業化の旗手:中上川彦次郎や三菱の大番頭にして岩崎弥太郎亡き後の岩崎弥之助の片腕となり丸の内の陸軍練兵場買収や三菱長崎造船所創設に尽力した荘田平五郎、三井財閥の三井合名会社理事長を務めた朝吹英ニ、三菱財閥の三菱合資会社銀行部(後の三菱銀行)部長の豊川良平等の多くの傑出した実業家を輩出してきた為、慶應義塾は帝國大學(今の東大)や高等商業学校(今の一橋)と並んで実業界に冠たる存在の私学の雄となってゆきます。 福澤諭吉の慶應義塾が明治、大正、昭和初期時代に輩出した著名な実業家には以下の人たちがいます。 ○精糖王→大日本精糖の藤山雷太、○製紙王→王子製紙の藤原銀次郎、○電力の鬼→東邦電力の松永安左エ門、○電灯王→名古屋電灯の福澤桃介、○繊維王→鐘ヶ淵紡績の武藤山治、○百貨店王→三越の日比翁助、○私鉄王→阪急電鉄及び東京宝塚グループの小林一三、○鉱山王→久原鉱業と日立製作所の久原房之助、○保険王→明治生命保険の阿部泰蔵、○三菱合資会社初代社長→岩崎久彌(岩崎弥太郎の長男)、○輸入書籍・薬品雑貨の丸善創業者の早矢仕有的(ハヤシライスの考案者)、○貿易商社の森村組の森村財閥の六代目森村市左衛門、○古河財閥三代目当主兼古河鉱業社長→古河虎之助、○初代横浜正金銀行頭取→中村道太、○第5代日銀総裁→山本達雄、三井合名常務理事の池田成彬、三菱銀行頭取の加藤武男
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