解決済み
広告デザイナーの方へ質問『商業的なデザインと、好みのデザインの違い』について質問です。 私好みのデザインは、文字が小さかったり、モノクロだったり、商業広告のデザインとしては(うちの場合)タブー。 5年程DTPをしていますが、自分をごまかし試行錯誤し「デザインの引き出しが増えるじゃないか!」などと無理矢理に暗示をかけてきましたが、自分でいいと思わないモノを制作する事が広告デザイナーという職業だとするのなら、転職も考えてしまいます。 芸術家とは違うんだ!と言われればそれまでですが・・・ クライアントや、消費者がいてこその広告という事もわかっているし、自分のデザインは完璧だから100%受け入れてくれ、と言っているわけではなく、ハッキリ言ってしまえば、(私にとって)ダサイ広告を創り続けていて感性や自分は磨かれるのか?・・・と疑問なのです(- -;) オシャレな作品を創造している大会社に入社できる学歴や実績はなく、フリーにはまだまだ力不足です。 皆さんがどのように考え、現在まで広告デザイナーを続けておられるのかをぜひ聞かせてください。
p_moon0630さん>おっしゃられている事は実体験も含めてよくわかります。ですが、デザインやレイアウトが良くても派手なスーパーの安売りチラシは(洗練、高級感、配色など)ダサイ。チラシは安っぽくて成功なのも納得なのですが…。 10名ほどの小さな会社なので、チームで広告を創った事がありません。すごく憧れます!チームでの制作はある程度大きな仕事=大きな会社へ行かないと出来ないのではないのでしょうか?
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ダサいのと下手なのは違いますよ。自分の趣味じゃないものを作るのは当たり前です。自分でいいと思わないのはダサいだけの問題なんでしょうか?ダサい売り売りのチラシでもキレイに作ればそれなりに満足感は得られるはずです。学生時代は好き放題自分で作っていました。みんなそうですよね?仕事にしたとたん、あるのはポストに投函されているようなチラシの数々、「ダサい」って思いましたよ、でも実際に自分でやるとうまくいかなくて、もっとダメになって…そんなころはみんなあります。それをダサいからどんなにやっても良くならないのか?キレイにレイアウトを組んだら同じ材料でもキレイにまとまるのではないか?そうやって力を付けていくものだと私は思いますよ。私たちはそれでお金をもらっているのだから、お金を出すクライアントの望むものを提供するのが当たり前です。ただ単に作り続けても引き出しは増えません。先方が望むものがあまりにもひどいときなどは、向こうの意見を尊重した案と自分なりに考えた案を提出すればいいのです。言われた通りやるだけならオペレーターですから。 単なるダサい広告なのか、ダサいけど難しい・挑戦しがいのある広告なのか…ひとくくりにダサいと言っても意味あいは違います。会社によっても違いますね。適当に作ってダサくなっているのか、きちんと打ち合わせをして内容を詰めて作っているのか。ろくな先輩もいない会社ならさっさと見切りをつけてスキルアップできる会社を選んだ方がいいですね。我流で通るような会社なら、続けても将来はないです。楽しくもないでしょうね。コンペとかが多い、コピーライターやディレクターが内部にいるなどチームでできる会社なら広告制作の楽しさが実感できると思います。勉強になることも多いので、例え自分の好みではなくてもダサくてつまらないなんて感情はなくなると思います。 自分がいいと思わないものを作り続けるというのは大問題ですよ。何をやっても自分の好みを貫きたいという気持ちがあるなら辞める(趣味にする)かフリーになるしかないですね。例え大手に入れたとしても通用しないと思います。 補足*** 大手じゃないとチームを組めないわけではありません。コピーライターがいる事務所は結構あります。うちは地方でしたけど、デザイナー2名、ディレクター(社長)の計3名でコピーライター事務所(4名)と同じフロアで兄弟会社のように仕事をしていました。社長とコピーライター2名は○通(もちろん支店ですが)にてクリエイティブディレクターとして常勤しているので自分たちの抱えている仕事の3割程度を自分の会社に振り、残りの仕事を別に振るという形を取っていました。内部のコピーライターと組んだり、外注で別のライターに頼んだりなど、いつも一緒というわけではありませんが、ほとんどの仕事はコピーライターやカメラマンとチームで仕事をしていました。そういう環境だったので県や地域の有名どころの仕事はほとんど入ってくる形でした。他にも代理店はありますから、友達の勤めている事務所とかとよくプレゼンで競ったりもしました。終わった後に「あれ、結局どこに決まったわけ?」「どんな案にした?」など同級生同士集まって話すのも楽しかったですね。あなたの住んでいる地域がわからないのでなんとも言えないですけど、大手でなくてもその土地でよく聞く事務所だとそれなりの仕事ができるし、腕を上げることもできます。会議に参加したり、撮影に同行して指示をしたり、そういう外部に出る経験がディレクションへの道になります。 先ほども述べてますけど、会社自体のレベルが低ければさっさと見切りをつけることです。業界暦5年ということですから、そろそろ中堅に入ってきます。同世代での実力差が出てくるころです。実力なき者は行き場が自然と決まってくる頃です。チャレンジしたいならお早めに。
一口にダサイと言っても、意味のあるものと、ないものがあります。 安価な商品、高級感を出したくない商品は、必然的にデザインも庶民的になりがちです。 値段表示がドーンとあったり、お得感を打ち出した七福神や招き猫がアイキャッチになっていたり。 そのような仕事は予算もないから、使えるのもフリー素材だったりで、やれることが限られてきますよね。 しかし、この不況下の中での広告デザインの重要点は「削られた予算の中で」「いかに消費者の注意を惹きつけるか」にあるわけです。 なので、効果を生むために予算面でも工夫されたデザインなら、ダサくてもそれを作ったデザイナーの力量は上がると思います。 仕事としてのロジックがそこにあり、実際に形にすることで「考えられたデザイン」が身についていくからです。 たとえて言えば、図書館のような一見味気ない建物。 これらも来館者の動線やカウンターの配置、棚の向き、閲覧スペースと採光の具合などがそれなりに計算されて設計される訳です。 建物としては面白味がないけれど、高齢者や身障者も訪れるし、設計する際には様々な配慮をしなければなりません。 当然、手がけた設計者には実践的なノウハウが備わり、後々に経験として生きてきます。 建物の利便性が、はっきりと意図されているのなら評価が上がり、受注案件も増えていくことになるでしょう。 ただ、それが設計者好みのデザインであるかというと、それはまた別です。 自分を殺して設計する人も、中にはいるかもしれません。 けれどもそうすることで来館者や図書館のスタッフが、気持ちよく図書館というスペースを共有できるのなら、それは立派なプロの仕事です。 広告デザインにも同様のことが言えると思います。 クオリティという言葉の意味は、ビジュアル面だけでなく、機能面にも言えるのではないでしょうか。 「高齢者向けの商品だから文字を大きくしよう」 「これは主婦向けだから、値段と写真を立たせよう」 といった風に、見る側にとっての機能性を追求していけば、メリハリのついたデザインになるはずです。 さらにその意味を説明できるようになれば、半分はディレクターになったようなものです。 そのようなことをちゃんとクリアできるようになれば、クライアントやスタッフからの信頼も厚くなります。 プロの仕事は、相手のことを考えて形にすることですから。 感性ということなら、消費者の気持ちを洞察する力が実は大きくモノを言うと思います。 いろいろお悩みのようですが、焦らずにがんばってください。 ジレンマがあるのは、成長する証です。 なにしろ、いちばん悪いのは、「なんの考えもなくて結果ダサクなったデザインですから」。 今は悩んでいること自体に、深い意味があると思います。
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