解決済み
就職活動中ですが、自己分析がうまくいきません。 中高大で頑張ったことを書いていったのですが、一貫して頑張ったことの結論が「やらないといけないことをしただけ」でした。以下、詳しいガクチカです。飛ばしてもらって構いません。 中学校 最初は勉強が苦手だったが、自分に合った方法を見つけクラス5位の成績になった。評点平均は五段階で3.4から4.8にまで上がった。 なぜそうしたか? 運動が苦手で芸術も不得意な私には、勉強しかないと思い、勉強に向き合うようになった。何より勉強は学生の本分だと考えているから。 高校 進学校で毎日大量の宿題を課せられた。宿題をやらなかったり、答えを写す生徒も多かったが、すべての宿題に真面目に取り組んだ。その結果、大量の宿題を期限内に終わらせることが、受験でシビアな時間内に問題を解き終わることに繋がり、成績が向上した。 なぜ頑張れたか? どんなに量が多くても、宿題をしない、不正をすることに罪悪感があったから。 大学 片道2時間の通学を続けながら、無遅刻無欠席でGPA3.0以上の好成績を収めた。電車で課題に取り組むなど隙間時間を活用するようになった。 アルバイトでは、大学一年から現在まで同じ飲食店で勤務している。仕事に対する態度から、上司から真面目だと評価され、頼りにされている。 なぜ? 学業:遅刻したり、単位を落とすことに罪悪感があったから。 バイト:お給料を頂いている以上、きちんと仕事に取り組むべきだから。飲食店の従業員の一人である以上、常にお店のプラスになるように働くべきだから。 このように、常にその時にしないといけないことをしてきたと考えています。その動機も常に、やるべきことをしないことに罪悪感を持ったから、というものです。 ですが、やるべきことをするのは社会人にとって、当たり前のことですよね? それができない若者が増えている、という話も聞きますが、自己PRとしてはとてつもなく弱いですよね? というところで自己分析が行き詰まっています。何かアドバイスを頂きたいです。
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やったことを淡々と羅列してるだけだから、『やるべきことをやった』だけのように見えてしまいます。 ガクチカはそうではなく、 ・やる前にデキなかった自分 ↓ ・やったあとのデキる自分 の差分を生み出すために、貴方なりの努力は何をしたか?です。 ポイントは、 ①努力しなかった人と比べて、なぜあなたは努力が続けられたのか? →これはあなたも書いているように、昔から高いレベルに自分を追い込むことができるから。でいい。 もう一つのポイントは、 ②努力をしてても結果が出ない人たちと比べてなぜ、あなたは成果を出せたのか? →不器用な人には分からない、でもあなたなら知ってるコツや工夫があると思います。 世の中の『デキてる人』を基準にすると、すべての人が『何もできない人』になってしまうので、 『自分よりできてない人』と比較する必要があります。 いまの貴方は、『すでにデキてる自分』と比較して『いまの自分』を分析しているように見えます。 それじゃ何も出てくるわけないですよね。
勉強は自分のためにする個人プレーで、仕事は他人のためにする組織プレーです。それゆえ、大学出て就職するというのは「人生の方向転換」になるわけで、大学の延長に進むなら大学院になりますよね。 学校の勉強は「学校にいる時間」以外が勝負で、家で沢山勉強した人が優秀な成績をとれます。けど、会社の仕事は「会社にいる時間」が勝負で、1日8時間で効率よく仕事出来る人が優秀なんです。 その観点からすると、「片道2時間の通学を続けながら、無遅刻無欠席でGPA3.0以上の好成績を収めた」ことと「アルバイトでは、大学一年から現在まで同じ飲食店で勤務している。仕事に対する態度から、上司から真面目だと評価され、頼りにされている」ことを同時に両立していることが、質問者様の最大のウリになります。 時間の使い方とか、物事の優先順位の付け方が、他の学生より優れているはずです。その美点は会社でもそのまま活かせるでしょう。総合職とかになればマルチタスク同時並行処理で働くことになりますからね。 ただし、真面目な女子学生さんはメンタルで潰れることもありますから、適度に手を抜くことも覚えましょう。真面目な努力とともに、要領の良さも重要になりますから。
「やるべきことをするのは社会人にとって、当たり前のことですよね?」 当たり前ではあるけれど、その当たり前のことを当たり前にやれる大学生が少数でしかなく、就活時に慌ててガクチカを意識し始めるのだけれど、時既に遅しなのです(苦笑) 一方の質問者さんは質問者さんで、ガクチカへの意識をそのまま自己分析ノルマで捉えていることに問題があるんです。 自己分析自体は就活時に発表すべきレポートでも何でもないから、分析過程の方法や完成度が大事なのではなく、ガクチカをまと終えたらそれでお役御免、くらいの考え方でいいわけです。 そして「やるべきことをやってきた」ことでしかない自分に対する罪悪感。何もやってない就活生予備軍に、質問者さんの爪の垢を煎じて飲ませる必要があるものの(苦笑)、「やるべきことをやっただけでは自己PRとして弱すぎる」のなら、突き詰めれば完ぺき主義者としていろいろなことに手を染め、それらをすべて完成度高い成果に仕上げないとご自身は納得できなくなるはずです。 回答者はその考えでもいいと申し上げます。が、就活自体は成果を確定させることなしに卒業時期を迎えてしまうことでしょう。 事が「求道」の領域に入ってしまうと、結果よりも自己満足へのあくなき追求が主のテーマに陥り、それはたとえば求人側が「合格ですよ」と言っていても、自分が納得いかなければその内定を蹴る結果になりかねないのです。 そんなおかしな主客転倒劇でも、しかし質問者さんには笑い事では済ませられない必然を回答者は感じるのですが、さていかがでしょう…
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