戦前戦中の灯台官吏ですね。運輸逓信省灯台局というのがあって全国に設置された灯台を管理運営していました。 中等学校から選抜試験を突破し横浜にあった灯台官吏養成所で学んだ後に各地の灯台に配属され灯台官吏に任官しました。 灯台官吏は初任者で軍隊の軍曹相当の待遇です。家族を持つ頃には主任以上になっているはずで軍人だと中尉〜大尉相当の待遇ですから給料は良かった事でしょう。 働く所が灯台で僻地の島や岬ですから苦労が多かったと言いますが、僻地の生活でも最新の情報を得られるようラジオがいち早く灯台に置かれたり灯台補給船が灯台物資と共に灯台官吏向けの福利厚生物資も運び子供向けの玩具や絵本等もあり暮らし向きは僻地とはいえ文化的であったといいます。 灯台官吏は全国を転勤しました。家族ともども灯台補給船に乗って次の任地まで航海することもありました。この時、灯台官吏の家族は客船で言う一等船客待遇でもてなされ父親はすごい人なんだと補給船での赴任航海を経験した子どもたちは誰もそう思ったそうです。 おばあさんの年代からすると戦前の平和な時代の灯台の生活の記憶だと思います。 灯台官吏は兵役を免除されましたが先の戦争末期には灯台も攻撃を受け殉職者が多数出ています。沖縄では突如攻撃され家族ごろとも跡形もなく全壊した灯台もあります。。 戦後は米国の沿岸警備隊に習って、新規発足した海上保安庁配下に灯台局がおかれ海上保安庁灯台部となりました。灯台官吏養成所は海上保安学校灯台課程となって舞鶴に移転しました。 海上保安庁灯台部は旧灯台局以来の業務形態で灯台を管理運営していましたが、平成に入った頃から業務の改変が進み灯台の完全自動無人化がなされました。また灯台機器保守も技術の進展で簡便になったため灯台部の技術部門は縮小され海上交通安全に関する部門が強化されて灯台部から交通部に改称されました。灯台保守管理専門職員の養成も行われなくなり灯台課程は巡視船通信士の養成する海上保安学校情報システム課程に統合され消滅しています。
灯台守(とうだいもり)という仕事でしょう。 昔は灯台の維持の為に、その場に住んでメンテナンスや周辺の環境の維持をする仕事があったんです。 結構異動が多い仕事で、家族の苦労も伴う物でした。 喜びも悲しみも幾年月と云う映画が、灯台守を描いた作品ですので鑑賞をお勧めします。
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