解決済み
文系の大学教授や准教授はどういった点で優れているのですか?ずっと疑問だったので大変失礼かとは思いますが質問します。 文系の大学教授や准教授の方々は新しいものを見つけたわけでも、作ったわけでもない、 知識があるだけなのではないかとずっと疑問に思っています。 知識がある→理系では大学院生や博士課程の人でも当然。 頭がいい→理系の教授や准教授の方々は頭がいい+αがある。 その学問に関して豊富な経験がある→理系の教授や准教授の方々はそれ+αがある。 歴史的ななにかを発見した→それが事実であったという根拠も発見しているのか。 理系の教授や准教授の方々は証明もする。 と思ってしまい、どうしても文系の教授や准教授の方々がどのように優れていて 高い給料をもらっていて、社会的に認められているのかが理解できません。 どなたか教えて頂けないでしょうか。 念のため申し上げておきますが、文系の大学教授や准教授の方々に対して ケンカを売りたいわけではありません。大変失礼なことを聞いているのはわかっています。 ただ純粋にその理由を「知らない」ので「知りたい」だけです。 説教等はしたい気持ちはわかりますが、それならば説教ついでに教えてください。 説教したくなるということは、理由をご存知かと思いますので。 回答お待ちしております。
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「文系」という言葉の括りが大きいので、そのままでは議論できません。 とくに、文系でも社会科学系と人文科学系(とりわけ人文学系)では学問の性質が異なるので、回答が異なります。 そもそも「新しいものを見つける」必要の無い研究というのは、文系でもほとんどありません。 外国語の講師とか、簿記などの技術系の教育(そういうもんだと覚える系のもの)は別でしょうけれども。 あと「新しいものを見つける」ことのほかにも、「社会に有用な人材を育成する」という機能が大学にはあるので、知識を内側に詰め込んで新人に教え込む役割の人=教授というのにも、存在意義はあると思います。 *** おそらく質問者さんが思っている「文系」のイメージというのは、文系でも文学部、文学部でも古典文学とか古典思想などを研究などをしている一部の研究者なんではないかと思います。 たしかにこの分野は、すでにあるテキストを読み込んで、これを解釈していくというタイプの研究スタイルが多いです。 そういう意味で、知識の蓄積が中心になることは事実です。 ただ、こういった知識を蓄積したのち、すでに亡くなってしまっていたりする哲学者の思想の全容を、馬鹿(専門外の人間)にでも分かるように、書き下して、後進に伝えていくという役割はあります。 このレベルに行き着くには、相当の勉強が必要ですし、評価に値すると思います。 ヴィトゲンシュタインという有名な哲学者がいますが、彼の逸話が面白いです。 彼がケンブリッジ大学に提出した博士論文ですが、きわめて難解なものでした。 複数の教授との間で質疑応答が行われたわけですが、ケンブリッジの教授陣は論文の内容を理解することができず、まともなやり取りができない。 ついにヴィトゲンシュタインは教授の後ろに回りこんで、その肩を叩き「もうやめよう。君達に理解できないことは分かっている」と言い放った・・・。 というお話。 教授側も「おっしゃる通り」と敗北をみとめ、その後ヴィトゲンシュタインはケンブリッジの講師になります。 思想研究というのは、こういった天才の残した哲学を、緻密に分析し、一本一本の糸をほぐし、その真意を明らかにし、分かりやすく書き下し、人々に解説するための役割があります。 そういう意味で、「新しい思想の解釈を見つけた」ということはありますし、基本的にそういうものを目指して研究はされています。 *** あと、単純に、「社会科学系」で「実証主義」の学者は文系でも証明をします。 政治学・経済学・社会学などの分野です。 「人文科学」でも心理学などの一分野もそうですね。 統計やデータ解析などを用いて、社会の実態(人間の行動パターン)を記述しようとするタイプの研究。 たしかに、物理的になにかを発明するわけではないです。 けれども、たとえば、ホットな話題だと「社会格差の是正」という課題に対して、「家庭の経済状況と子どもの学力の相関関係」の存在を証明しています。 このようなことは、「今まで分からなかった因果関係を明らかにして、新しいものを見つけた」といえるでしょう。 このことは、例えば、行政の施策等において、どこに予算を投じれば社会問題が解決するかのエビデンスになります。
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