ユニクロがいまこうしたブランドになった経緯は、ファーストリテイリング会長の柳井正さんの著書『一勝九敗』に書かれていますので、興味のある方は本を読んでみてください。 私は、なんとなく、ユニクロって、戦争が終わっていろいろ苦労した末に、日本人が、国家の力ではなく、自分たちの力でやっと手にした人民服のような気がするんですね。 人民服というと、ちょっと聞こえが悪いかもしれませんが、人民服のいいところは、オシャレであるべきとか、個性的であるべき、とかいった緊張感から逃れられるところ、そして、安価なことです。その一方で、画一的、権力がこうあるべきという押しつけ、自由がない、結果としてオシャレじゃないといった悪いところがあります。 こうした整理をした上で、そのデメリットの部分をなるだけ少なくするとどうなるか。ユニクロなんですよね。その先駆け的に、当時の西武流通グループ、後のセゾングループが立ち上げた無印良品だったりするのですが。 戦争が終わって、みんな貧しくなりました。そして貧しいまま、自由が入ってきました。いままで、みな同じような服を着ていたのに、戦後、衣服に関して言えば、長い間、オシャレの自由を満喫したい人は、高価なブランドを買い求めるようになり、その一方で、オシャレの自由競争がじゃまくさい人は、スーパーマーケットの衣料品売り場で安いけどださい服を買うしかなかったのです。そして、その構図をぶっ壊したのが、ユニクロだと思うのですね。 ユニクロに行くと、いろんな人がいてて面白いですよね。お年寄り。おっちゃん、おばちゃん。スカしたカップル。ださいカップル。さえない青年。そして、私のようなサラリーマン。私などは、そういう環境がものすごく居心地がよかったりするんですよね。これは、服に関しては、という部分はありますけど。 ユニクロの服も、無印良品と同じように、「これがいい」ではなく「これでいい」という考え方ですよね。(ちなみに「これでいい」というのは、今の無印良品のコンセプト。)だから、オシャレの平均値であるんですね。個性はないけどね。 身につけるもので自分の個性を表現することが、邪魔くさくてしょうがない人にとって、ユニクロは、すごく好都合なんですよね。店員が話しかけてこないし。ズボン(最近のオシャレさんはパンツって言うらしいですね。)は、裾直しがいらないから、試着室に入らなくて済むし。 人間には、二面性があって、自由競争、個性、自由を求める資本主義的な部分と、競争から逃げたい、個性から逃げたい、自由なんかいらない、っていう社会主義的な部分もあると思います。多くの人たちは、心のどこかで人民服があればいいのにな、なんてことを思う部分があるのではないでしょうか。 もしかすると戦後の左翼が求めた社会主義的な理念を見事に達成したのは、左翼活動家や左翼政党ではなく、ダイエー、イトーヨーカドー、西武セゾン、ファーストリテーリングといった資本主義のまっただ中にいる流通業界の企業家でだったのではないかな、と思うんです。彼らの頭の中には、もしかすると、革命へのビジョンや情熱があったのかもしれません。
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