解決済み
手話通訳者を目指していた者です。手話サークルには毎週かかさず、通っています。通っているんですが、私、少し臆病なところがあって、先回りして考える癖があって。こんなこと表現してもいいのかしら…。そう思うと聾者が目の前にいるのに、何にも出来ずに時間が過ぎていきます。手話通訳者の方々、もしくは手話に関わっている先輩にお聞きします。やっぱり手話通訳者になるには、向き、不向きがあるのでしょうか?またどんなに頑張っても、生まれ持ったセンスや人柄が左右されるものなのでしょうか?聾者に言いたいこと、話したいこと一杯あるんですよ…。でも手話サークルに行くと何か手話の上手な人に遠慮して、何も出来ないで時間だけが過ぎちゃいます。人を差し置いて、割り込む勇気すらありません。聾者側にしてみれば、遠慮ない、図々しい人の方が好きだと聞いたことがあります。私はそれらは出来ません。最近は私は手話に向いてないと悲観してばかりいます。明日、手話サークルがあるんですが、行くのを躊躇っています。色々と考えれば考えるほど、手話をするのが怖くさえなります。手話に関わっている方で、積極的になれない、言えない他の性格を持っている方のアドバイスをお待ちしています。何か完全な愚痴になってしまって、申し訳ありません。いろんな人たちの話を聞いて、気持ちの整理を付けたいと思います。小心な私によきアドバイスをよろしくお願いいたします。
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1人がこの質問に共感しました
手話通訳者です。 まず、日本語の使用に向き不向きはありません。上手下手はあると思いますが。 だから、手話を使うことそのものが向いてるとか向いてない、という区別はないと思っています。ただ、他の言語もそうですが、学習段階でどれだけネイティブとの会話に積極的になれるか、は上達の速度や深さと関係はあると思います。 さて、自分のことは棚に上げておきますが、手話通訳者になるのに向き不向きはあると思っています。技術は磨けばいいですが、人格や性格についてはは自覚が必要です。 通訳場面で自己顕示欲が強すぎる人はいただけません。主役は通訳者ではありませんから。 他の通訳者と対等な人間関係が築けない人も困ります。 何より、人前で上がる人は困ります。 通訳者の養成講座で必ず受講生に伝えているのは『心臓に毛を生やして下さい』『なるべく人前で発言する機会を持って下さい』ということです。 小心と書かれていますが、本当に手話を身につけたいのであれば、それは多少なりとも克服しないと前に進めません。 難しい場面はともかく、サークル活動の範囲で個人的感情や価値観とは無縁の場面では、どんどん発言する努力は必要だと思います。
なるほど:4
初心はなんですか? なんで手話通訳者を目指してたんですか? それを思い出してみたら何も恐くないと思いますが。 手話に向いてるとか向いてないとかの問題は存在しない。 通訳者になりたいならば、サークル以外でそれ用の勉強をすればいいだけ。諦めさえしなければ、気の強い人、内気な人、性格のいい人、悪い人、関係なしに誰でもなれると思います。
なるほど:1
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