解決済み
子供の頃は、例え変わっていても、「将来芸術家にでもなるんじゃない?」と多くは楽観されます。 しかしこれが、「働いて収入を得ることができない困った人」に評価が変わるのはどの時点ですか。 子供の頃のどの兆候を見れば「将来働いて収入を得ることができないかも」と予見できると思いますか。
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昔からあるテーマで決め手がなく、回答が難しい質問ですね。 なぜなら、本人(ここでは変わっている人)の才能を 正しく評価できる人がいないか、出会えないことが多いからです。 、 こどもにとって、まず、親か親戚・・・・・次に教師くらいしか 進言してくれる人はいませんね、 この質問にしても、あなた本人のことなのか。 友人のことなのか、 それとも、一般論としてあなたが認識したいのか によって、答え方が違ってきます。 、 しかしながら、せっかくの質問ですので、何か手がかりを 発信したいので、ご参考になれば幸いです。 、 1, となり百姓 昭和の初期のこと。農業人口が1400万人のころ、 いなかでは、ほとんどの人が、田んぼにでて、働いていました。 そこを学生服をきた青年が通りかかります。 村にとって、学生服の青年は、あきらかに変人です。 まれに、識者がいて、かばいの発言をしたとしても、 青年の才能の判定はできず、小説家志望らしいよ、とかの 机上の空論を述べるばかりです。(この青年は将来、大企業の社長に なるのですがね。) しかしなかせら、 ほとんどが、変人と決め付け、ヒソヒソうわさをするばかりです。 このように、となりの人に合わせるばかりで、 主体性をもたず、知識もない人のことを「となり百姓」 といったとか。いわないとか。 2. これを現代に例えると、 いま、4000万人の人が雇用者です。誰かに雇われています。 したがって、誰かに雇われていない人は、変人ということになります。 さて、一歩深く考察しましょう。 1000万人の変人の中から、農業している300万人は、 除外していいでしょう。 弁護士や医者なども認知されていますので除外です。(国家資格者) 残りの認知されていない人が、あなたの気になる人たちでょう。 仮にニート200万人、半浪人200万人いるとします。 仕事に出かけないのが、変人になるわけです。 昔、たんぼにでなかった人とにています。 みなが会社にいっているのだから、会社にいくのが普通という 現代版となり百姓です。 ちなみに、私たちのような知識人は、変人とはきめつけませんよ。 だまって観察しています。 まあ、参考にはならないでしょうが、一通まで。 職事研究者という変人より、
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