解決済み
南北朝時代からの禅宗美術、唐物、南宋画がごちゃごちゃになっていて違いがよくわかりません。 禅宗美術は、日本が中国を真似たもの。 南宋画は、日本で流行した中国のもの。 という解釈は全く間違っていますか? あと、安楽寺八角三重塔は日本にあるものなので唐物とは呼ばないのですか?これは禅宗美術に分類されるのですか? 今年の美術検定3級受けた方、もしくは日本美術詳しい方教えてください。 Q52の問題に関してです。
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美術品というか絵画の造詣はないので、建築物、特に安楽寺八角三重塔が好きなんで投稿してみました。 寺院建築としては、唐物という呼び方ではなく、唐様という呼び方をします。また、唐様というのは禅宗様の別名です。 それまでの建築様式も元々は天平年間に中国から伝来したものだったんですが、時代とともに和風に且つ日本の貴族風にアレンジされてきました。これらの建築物は和様と分類されています。和様の代表的な寺院建築としては平等院鳳凰堂や延暦寺根本中堂があります。時代は流れ平安時代末期になると、東大寺再建に伴い宋の様式を用いた建築様式が生まれました。東大寺南大門に代表される天竺様です(大仏様と後年言い改められます)。しかし、大仏様はあまり繁栄しませんでした。その後の武士たちの考え方というか意識の持ち方にしっくりあわなかったようで、大仏様に武士たちのアレンジが加えられた建築様式が禅宗様(or唐様)です。よって、安楽寺八角三重塔は唐様建築物となります。 建築物は為政者の考えというか姿勢がモロに表れるものなので、武士の考え方が尊重されたのでしょう。南北朝のころは武士、特に京都周辺に関しては、武士でありながら足利将軍家は貴族化していたころなので、どっちつかずだけど、どちらかというと武士寄りなイメージですね。ただ、このころの建築物は応仁の乱などの戦火により焼失していることが多いので、残っていたらどんな感じだったのか興味はあります。鹿苑寺金閣も金箔がなかったらどんな雰囲気だったのか知りたいですね。
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