解決済み
危機管理問題に強い、作家の佐々淳行さんと言えば… 「東京方面中心に発生した、 「学生闘争」では、警視庁で特定の機動隊を担当する、警備部門の一ツの課の課長。 更に、映画の原作本として後に自らが作家として書く程、 「あさま山荘事件」で、警察庁側の課長クラスの担当者。 それぞれとして、現場で陣頭指揮取った等、警備部門つまり機動隊に強い、キャリア組の警官だった」のは、ご存知の方多いと思います。 大阪在住ですが私は、先日自宅のテレビで、言わゆる「警察追跡24時間」番組を、関西テレビで放送してのを見ていた所、「警視庁の機動隊に、転任でだが新人として着任した隊員が、必ず受ける着任時の訓練を追跡した」コーナーで… 「全ての機動隊の、新人隊員の総仕上げの訓練を都内で行った時、警視庁の本庁の警備部長が視察していた」シーンを、見ました。 そこで、「元キャリア組の警官としての、佐々さんのプロフィール」から、質問したいのは… 「元々警備部門つまり、機動隊に強かった佐々さん。 「警察庁か、違う都道府県警何れかにせよ、一旦違う部署へ転出してから、本庁の警備部長として、警視庁に改めて着任する」とか、「大阪府警等違う都道府県警本部へ、警備部長として着任する」等何れかにせよ、階級から見て佐々さんは、警備部長クラスへの着任は、あり得たと思われるか?」に、なります。 それでは詳しい方、よろしくお願い致します…。
ご覧になり、有難うございます…。 質問の発端となった、テレビ番組見てですが… 「佐々さんは、学生闘争やあさま山荘事件等、後で有名になる事件に担当の警官として、関わってた。 その為、そう言う事件が全く何も無く平和に過ごせてたら、警視庁無いし違う道府県警本部何れで、警備部長クラスで勤務してたのでは、無いか?」と、私個人的には思います…。
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趣旨を間違えて大変申し訳ございません。 佐々氏が「学生闘争が無くても警視庁警備部長や大阪府や県警警備部長に着いていたのでは・・・」ということですね・・・・ ・・・・それは無いです。 ・・・・なぜか? まず警視庁公安部長や警備部長は将来の長官・総監の登龍門です。それに行くまでには第1の登龍門があります。それは警視庁本富士警察署長です。佐々氏はそれに着いてないません(長官・総監レースから外れたことを意味します)。同期で署長に着いた方がのちに警察庁長官になってます。 東大闘争当時、警視庁警備部警備第一課長の職についてましたが、佐々氏は警視正と警視長にまたがって着いてます。慣例として警備第一課長の次は大阪府警か千葉県警の警備部長に転出するのですが警察庁に戻りました。なお、同時期に大阪府警警備部長に着いた方は同期でのちの内閣情報調査室長になってます。千葉県警警備部長は1期後輩が着任しのちに総監になってます。他県警警備部長は準キャリアかノンキャリアの指定席なのであり得ません。 警視庁警備部長に着任する時期は防衛庁の参事官になってますので無理です。同期で着いた方はのちに総監になってます。 佐々氏は凄く頭はキレますが、出世頭ではないので、それらのポストに着くのは無理なのです。
1972年、ひめゆりの塔で今の天皇皇后両陛下に火炎瓶が投げつけられる事件がありましたが、あれで佐々さんは左遷を食らいました。
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