解決済み
あさま山荘事件で、直属の上役であった、当時の後藤田警察庁長官からの命令で、長野県軽井沢の現場へ出動して指揮を取ったキャリア組の警官であった、作家の佐々淳行さんが著者として書いた、小説としての「あさま山荘事件」で… 「警察庁で、自分が就いている役職が役職だった為、現場で指揮取った時に現場を受け持つ長野県警と、応援の警視庁等の警官達から、複数の呼び方で呼ばれて現場を混乱させてしまった。 言われて見れば、江戸幕府の八州廻り(回り)と言う役人と、同じ様な仕事をやっている様に当時は思った」と言う内容で、書いているのを見ました。 そこで… 「江戸幕府の八州廻りとは、どう言う仕事内容で現在の何県が、仕事場所であったか?」で、質問したいと思います。 それでは詳しい方、ヨロシクお願い致します…。 (仕事内容の点から、「この仕事教えて」を、カデコリとして選ばせて頂きたいと思います。)
実際に佐々さんは、自らが著者として書いた別の警察関係の本で… 「各都道府県警は、他の都道府県に越えての捜査が、中々出来ない事が多い様に思う。 そこで、個人的には… 「江戸幕府の八州廻りを、現代的にアレンジして活動エリアを全国に拡げた、特別な捜査官を警察庁は創設するべき」と思っている…」と言う内容で、書いている模様です。
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※補足を受けて加筆・訂正しました。 警察の組織は、下のアドレスの組織図をご覧頂くと判ると思いますが、基本的には、警察庁と、警視庁のように、いわゆる「背広組」である警察庁・公安委員会と、「制服組」である各都道府県警察本部に判れています。それぞれの警察本部は、各単位ごとに都道府県に設置されている公安委員会が、府警・道警・県警を監理・監督しています。東京の場合には、警視庁は、国家公安委員長と警察庁が担当ですね。 この警察庁の組織の中には、少なくとも、法的には昭和29年までの間に広範囲な警察本部を管轄し、そこを指揮して、広域犯罪に対応するための組織作りが行なわれ整備されています。 例えば、関東管区警察局の場合ですと、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、新潟、山梨、長野、静岡の10県を管理下に置き、管轄地域内で発生した事件などに対しては、各県警本部を指揮して、合同捜査本部を設置させたりします。管轄地域が異なる場合には、より上位となる警察庁の指揮を受けることになりますね。 その意味では、法的な部分では、それなりの対応が可能であるようにはなっていますし、「八州廻り同心」よりも、戦国時代に越後の長尾影虎が、上杉家より家督と地位を譲り受けた、「関東管領」の方が、より近いものがありますね。 おそらく、佐々氏が言われていることは、「より現実的な対応」という面からでしょうね。実際には、他県の警察が入り込むことを、特に、「強行犯罪捜査担当課・係」では、「敬遠する傾向がある」と聞いています。そこには、自分たちのテリトリーであるという、自意識があるそうです。これは、良い意味でもあり、悪い意味でもありますけどね。また、他県の警察官・捜査官も、土地勘の無い場所での捜査には、抵抗があるそうですし。実際に難しいらしいですよ。 http://www.npa.go.jp/koho1/sikumi.htm 関東の「関八州」とは、武蔵国(東京都と埼玉県)、相模国(神奈川県)、上総国(かずさ:千葉県房総半島中部域)、下総国(しもうさ:千葉県北部域と茨城県南部域の一部を含む)、安房国(あわ:千葉県房総半島先端部)、上野国(こうづけ:群馬県)、下野国(しもつけ:栃木県)、常陸国(茨城県北部と中部域で南部の一部を除く)の八国を指しました。 これらは、元は、徳川宗家の直轄領でしたが、その中に、家臣の中から1万石以上の大名となったものや、国替えにより所領を持つ譜代・親藩などが増えたために、時間とともに、必ずしも、徳川宗家(将軍家)と同一というスタンスでは無いものも現れました。 そこで、それらを取締るために、大目付や横目付けを置き、大名や代官などを取締りに当らせたのですね。 一方、この時代、治安に関しては、江戸町奉行所や寺社奉行の管轄地とはなりませんでしたので、八州廻り同心を勘定奉行の配下に置き、関八州を巡回・見回り地域とさせていたのですね。 ただ、八州廻り同心は、元の身分が低いため、徳川御三家の一つである水戸藩領内や徳川宗家の旗本領内などでは、活動や捜査自体にも制限があったようです。 また、勘定奉行の配下であったために、本来、町奉行などですと、上役としての「それなりの石高の旗本」である「与力」がいたのですが、それもいませんでした。つまりは、上司は勘定奉行となるわけですね。 2人一組で、管轄地を回るときには、要は、上司である奉行は、江戸の町から出る事が無いために、かなり、あくどいこともしたようです。地回りのヤクザなど絡んだり、町屋に長く逗留して「嫌がらせ」をしたりしたようですね。 仕事の主な場所となるのは、見回り地域の宿場町などの「繁華街的」なところが多かったようです。どうしても、無法者も、そのような場所に集まりますからね。手配書を持って、探し回るということもあったようですが、何せ、当時ですからね。地元の権力者が「これは、あいつに間違いございません」と言って、袖の下から小判を渡したりすると、今でしたら「誤認逮捕」と言われるようなことも相当あったようです。
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