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昭和終わり頃の農協の理事とはどんな感じですか?田舎の農協の理事をやっていたと祖父が自慢します。多分2.30人しか職員いなそうで、ただの小さな支店長では?と思うのですが、二言目には、理事やってたからといいます。農協病院の会長なども。 理事会なんかと違い、農協は日本全国に沢山理事がいます。この場合の理事とは 一般企業で言う所のどの程度のポジションですか?社長でないことはわかります。 また、社長でない以上年収はどのくらいだったのでしょう。 どう言う組織体制なんですか? 全国の農協の社長に当たる人は何という役職なんでしょうか? ちなみに勤めてた支店は合併されもうありません。 詳しい人がいないので、どなたか教えてください
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農協の経営人である理事の制度は、戦後に農協法が作られて当時から基本は変わっていません。時代背景によって責任関係は微妙に変化していますけどね。 小さな支所長ではありませんよ。また、農協病院(厚生病院)の会長であれば農協の組合長であったのでしょう。地元農業界のトップであったと推察されます。 現在の農協は統廃合が進んで全国に約500あって中小企業といえます。 大都市の農協は地方銀行並みの規模の場合もありますけど。 お爺さまの住んでいる町の人口規模によって農協の規模も推察できます。 ちなみに組合長であったなら町の名士であり、町長や国会議員とも対等に話せる立間です。職員の人事権を持っており、個々の農家に対しても絶大な権威があったと言えます。 現在は、非常に民主的で事務的な役割が主となっていますけどね。
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