欧米には日本のような財閥系商社がなかったからではないでしょうか。 日本では総合商社は第二次世界大戦前は、三井物産、三菱商事の財閥系商社2社だけでした。 第二次世界大戦後、占領政策としての財閥解体によって、三井物産と三菱商事の両社は解散の命令を受けて、占領中それぞれ100社以上の商社に分割されました。しかし、1952年(昭和27)の対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)発効とともに復活のための合併を急速に進め、1954年までに両社は合併運動が完了しましたが、それまでのすきをついて伊藤忠商事、丸紅などの関西系繊維商社などが鉄鋼、機械、化学製品の輸出および工業原材料、原燃料などの輸入業務に進出し、総合商社化していったという経緯があります。 この結果、復活した三菱商事、三井物産と、これら戦後総合商社化した商社とを加えて、多数の総合商社ができ上ったということのようです。 つまり敗戦という日本独特の事情があったというわけです。 そのあたりが「ukawa6:05さん」が言われるように海外とは違う点だと思います。
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