元採用担当のおぢさんです。私は採る方でしたが、少しだけ回顧録。 一番きつかったのは2000年3月卒で、初めて新卒求人倍率が1倍を切った年です。そのころは、ネットがありませんでしたので、資料請求ハガキを書くところから就活が始まりました。それに対して、企業パンフや説明会の案内が返送されれば次に進めるという感じです。 この頃はまだ女子大生の採用は少数で、4大女子ともなるとハガキを100枚書いて、初めてそこからスタートと言われるくらい厳しいものでした。(200枚は最低書きましょうという指導をしている就職課もあったそうです)リクルートなどのハガキに宛名は印刷されていますが、自分の住所・氏名・質問事項への回答・自由記述欄に熱意を持ってきれいな字で書き込んで、最後に宛名の「行」を消して「御中」を書き添えてやっと出来上がり。人によっては、受取人払のマークの上に、自腹で切手を貼って送ってくる学生もいました。 つまり、4大女子はどんなに偏差値が高くても、企業からほとんど返信さえしてもらえなかったのです。むしろ、結婚までの期間が長い短大が好まれました。当時は結婚を機に辞める女性が多かったのです。 ですので、やっと面接までたどり着いたという想いからか、何としてもこの機会を逃すまいという思いからか「過労死しても構いません!お願いします」という学生さんもいましたよ。 この頃の過酷な環境が、今日の就活時のビジネスマナーレベルを大きく押し上げることとなります。昭和の時代は「それでは履歴書を送ってください」とお願いしたら、よほど礼儀正しい学生さんでなければ、普通郵便の小さな封筒に折り曲げた履歴書だけを送りつけてきたものです。もちろん、添え状なんて入ってませんでした。今では考えられませんよね。 あと、ネットがないので合説も花盛りで、どんどん開催数が増えていきました。しかし、応募者数に不自由していない第一地銀はなかなか参加しないし、仮に参加したら話を聞くだけで3時間並んだという話も残されているくらい人気でした。今年はコロナで合説の多くが中止されましたが、最近のトレンドとして地銀さんは人気がないので、いくらでもお話を聞けるかなという感じですね。 その当時は企業の平均年間休日数もどうにか100日を超えたあたりですが、現在は110日弱くらいですよね。ですので、その当時就活した学生さんからすると、休みの日がどうこう気にする余裕があるだけ遥かに優遇されてると考えるかもしれません。 就活は、それまでやってきたことや考え方や能力や、場合によっては人格まで否定されている気持ちになりやすいものです。逆に言えば、今の若者達は丁寧に育てられてきたので、否定される(=承認されない)ことにかなり敏感だとも言えます。コツとしては、場数を踏むしかありません。 就活は必ず慣れてきますから、少しの休憩を入れながら頑張ってください。スポーツと一緒で、やらない姿勢を貫けば、いつまで経っても成長できないことになりますから。 キャリア形成って就職がゴールではありません。そこで今度は給料を頂戴しながら働かなくてはならないのです。それも、できる限りハッピーになれるように。だから、今の頑張りも、みんなが就活やっているから自分もやるのではなく、自分が自分のために、ハッピーに近づけるように頑張ってください。
なるほど:4
自分が19歳の時に有効求人 率がTOYOTAの近辺でも良くて 0.5%で最低0.3%くらいでした! その頃今みたいに派遣という 雇用形態なかったから 正社員はなかなか採用されず バイトでも働ける場所が あればいい感じでした!
なるほど:2
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