解決済み
指揮者がいなくてもコンサートマスター(第一バイオリン最前列・客席に近い方)がいれば演奏は可能です。しかしただ、単純に演奏するだけとなる無味無臭のものになると思いますね。 前の回答者が言われるように、練習で指揮者が徹底して味付けをオーケストラに仕込みます。本番ではそれを再現するだけです。指揮棒を持とうが手でやろうが本質には関係ありません。 なお、オーケストラが演奏を止めてしまうことはたびたびある事実です。私は経験していませんが、故岩城宏之さんは、ストラヴィンスキーの難曲「春の祭典」で自分自身がどこを演奏しているかわからなくなり、オーケストラに演奏を止めるよう指示を出したことと著作に書かれています また、コンサートマスターのお話として有名なのは、NHK交響楽団がベートーベンの「田園」と「運命」の二曲で構成された演奏会で、一曲目は「田園」なのに、指揮者の登場の雰囲気がどう見ても交響曲五番「運命」を演奏するぞ、というオーラが漂っていたそうです。 その時のコンサートマスターは、すぐさま指揮者ではなく自分を見るようにと目で楽員に合図をして、指揮者は「運命」のつもりで指揮棒を激しく振り下ろしたのに・・オーケストラは「田園」の演奏を始めました。 で、指揮者はそこで曲順の間違いに気づきあとは知らんぷりして演奏を続けました。
振らなくても、いいオーケストラなら弾けてしまいますよ。 へたくそな指揮者は指揮をしてもそれを見てもらえません。よって指揮がへたくそでも演奏は止まりません。 指揮者は拍を刻むためにいるのです。よって演奏者にとっては指揮棒を持っていようが持っていまいが関係ありません。あとは指揮者が指揮棒を持つ方が振りやすいか、そうでないかによって指揮棒の有無は決まります。
一流のオーケストラ団員の方は、全員が絶対音感とリズム感を持っておられるので、指揮者が居なくても演奏は出来ます。 小中学生が指揮しても一流の音で楽しませてくれます。 ただ曲の理解の仕方がオーケストラ100人いれば、100色あるのでそれをまとめるのが指揮者の方で、指揮者の感性がオーケストラの特徴を生み出しています。 そのため感性が豊かな常任指揮者をいつも求めているのが、オーケストラの宿命となっています。
指揮者がいなくてもコンサートマスター(第一バイオリン最前列・客席に近い方)がいれば演奏は可能です。しかしただ、単純に演奏するだけとなる無味無臭のものになると思いますね。 前の回答者が言われるように、練習で指揮者が徹底して味付けをオーケストラに仕込みます。本番ではそれを再現するだけです。指揮棒を持とうが手でやろうが本質には関係ありません。 なお、オーケストラが演奏を止めてしまうことはたびたびある事実です。私は経験していませんが、故岩城宏之さんは、ストラヴィンスキーの難曲「春の祭典」で自分自身がどこを演奏しているかわからなくなり、オーケストラに演奏を止めるよう指示を出したことと著作に書かれています また、コンサートマスターのお話として有名なのは、NHK交響楽団がベートーベンの「田園」と「運命」の二曲で構成された演奏会で、一曲目は「田園」なのに、指揮者の登場の雰囲気がどう見ても交響曲五番「運命」を演奏するぞ、というオーラが漂っていたそうです。 その時のコンサートマスターは、すぐさま指揮者ではなく自分を見るようにと目で楽員に合図をして、指揮者は「運命」のつもりで指揮棒を激しく振り下ろしたのに・・オーケストラは「田園」の演奏を始めました。 で、指揮者はそこで曲順の間違いに気づきあとは知らんぷりして演奏を続けました。
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