教えて!しごとの先生
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初めまして、cecil_scott_foresterさん いつも為になるお話有難うございます。 早速ですが。

初めまして、cecil_scott_foresterさん いつも為になるお話有難うございます。 早速ですが。↓ ①ガンジーやマザー・テレサは助けが必要な人々を自ら引き寄せてしまったのか。 ②自分を大事にするべきであるという考えと、人の嫌がる仕事であったり 好きでもない人のために身を低くして働いたりすることが大事だという考えと 矛盾している気がするのですが、どうでしょうか。(引き寄せ的にも) ③花を美しいと感じるのは、良い心の投影だと言いますが 例えば、何故 美男美女にはそれが適用されないのか。 そもそも、何かを綺麗だと思うこと自体が中道から外れるらしいのですが この考えに何か矛盾を感じます。 (仏教の考えなので、cecil_scott_foresterさんに聞くべきでは ないのかもしれませんが宜しくお願いします。) ④引き寄せにとって思考は邪魔だというのを聞いたような気がするのですが、私の信頼する人々の本では理性の重要性を語っていることが多いです(その人達も引き寄せはあると言っています。) あまり考えないで生きた方が良いのでしょうか。 ⑤神聖な神社よりも、太陽の眩しいビーチなどの方が元気が出て パワーがある気がするのですが、どう思われますか? 以上になります。 沢山質問してすみませんm(__)m。 頓珍漢な質問ばかりだと思いますが、是非ご意見を聞かせて頂きたいと思いました。 宜しくお願い致します。

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    ①ガンジーやマザー・テレサは助けが必要な人々を自ら引き寄せてしまったのか。 結論から言えば“すべては必然”です。 その必然の過程には様々な要素が絡み合っていて、引き寄せの結果か、あるいは因果律やカルマの結果かは個々の事例ごとに異なります。 必然には不可抗力的な宿命という側面と運命という自由意志による選択の結果という側面もあります。 また人と人との出会いは霊的進化の必要性に応じて支配霊が仕組んでいます。 しかし霊的進化の程度は一人ひとり異なっているため、出合うことになる理由も様々です。 つまり個々の事例ごとにそれぞれの要素の影響の程度や割合が異なっているということです。 従ってすべての出会いを引き寄せの法則だけで解釈することは出来ません。 例えば、ある日の満員電車に乗り合わせている人々それぞれにその電車に乗った事情が異なっているようなものです。 その電車でなければならない理由がその日に限ってあって乗り合わせた人もいれば、全くの気まぐれでたまたまその電車に乗った人もいるでしょう。 逆に通勤目的のサラリーマンや通学目的の学生は毎日同じ電車の同じ場所に乗っていたりするでしょう。 この様になぜその時出合ったのかは、自由意志の選択の結果や、カルマによる宿命や、因果律による必然、そして引き寄せの法則の結果など、それぞれ個々の人間ごとにその事情は異なっているのです。 ※ある出来事が運命によるものか、宿命によるものかを判断することは事実上不可能です。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1351124573 ②自分を大事にするべきであるという考えと、人の嫌がる仕事であったり好きでもない人のために身を低くして働いたりすることが大事だという考えと矛盾している気がするのですが、どうでしょうか。(引き寄せ的にも) 矛盾というよりも比較しているテーマ自体が違っている様に思えます。 人の嫌がる仕事であったり好きでもない人のために身を低くして働いたりすることが大事だというのは知識だけでは魂の進化にはほとんど役立たないということについてのお話です。 知っていることが肉体の頭脳に記憶されているだけでは魂のレベルアップには全く寄与していないのです。 “本当に”理解したならばその知識が普段の生活に反映しているはずです。 つまりその知識が智慧に昇華して魂の一部になったということです。 魂の一部になった知識は習慣や習性という形で日常生活に自然に反映するのです。 知識がそのまま実践される生き方になるのです。 そのようになるためには“現実の奉仕”という日々の実践訓練が必要です。 大抵の人間は肉体の頭で学んだ知識がそのまま霊的真理としての智慧のレベルにはなりません。 最初のうちは嫌々ながらでも忍耐強く実践し続けることでいつの日にか、それが習慣となり習性となっていくのです。 そうなって初めて魂がその分だけ進化したということです。 ゆえに人生は霊的“修行”と言われているのです。 知識だけでは霊的進化に役立たないというのはルールブックを丸暗記してビデオや雑誌でテクニックを“理論的に”学んだとしてもそれだけでは実際の試合には全く役立たたないということです。 まずは基礎体力を養った上で日々の練習や訓練、試合などを積み重ねてようやく思い通りに身体を操れるようになるのです。 肉体を自由自在に動かせるようになるまでには何年もの厳しい修行の日々が必要です。 このスポーツにおける肉体の訓練に相当するのが魂の霊的修行としての人類への“現実の奉仕”の実践“行為”なのだということです。 「人は神秘を学べば、何か道が開けると思いがちです。 だが、霊的神秘は言葉で魂に伝わるものではありません。 それは“行為”です。 貴方がその神秘にふれるための行為によるのです。 世のすべての書を読み、知識を知りつくしても、人は依然無力です。 それに至る道は唯一つ、日常の貴方の生活如何です。 どんなに願い、憧れ、欲求しても無駄です。 肝心なのは人類への“現実の奉仕”です。 それがつまらない床掃除であったり、人の嫌がる仕事であったり、好きでもない人のために身を低くして働いたり、愛の手を差し伸べたり(とても普通は出来ない事ですが)、それを、我を殺して、誰に認めて貰えなくても、やりぬくことです。」 一方、自分を大切にするというのは魂の“お宮”としての肉体をおろそかに扱わないということです。 暴飲暴食や不必要な危険行為、過労、睡眠不足、喫煙などで神から“貸与された”肉体を台無しにしてしまわない様にということです。 即ちその肉体は「あなたの物」ではなく「神からの預かり物」なのだということです。 逆に過剰な健康志向や不老長寿への執着なども間違っています。 自然死の場合は予め生まれて来る前にその時期が定まっています。 肉体の老化は死後に用いる霊的肉体の完成と表裏一体の現象であって忌むべきことではありません。 シルバーバーチ曰く、 「大切なのは身体と精神と霊の調和です。 私は物質面での進歩についてあれこれ申し上げる立場にありませんが、物的進歩にもそれなりの役割りがあります。 身体にとって必須のものを無視することは私どもの教えに反します。 身体がその正しい成長にとって必須のものをきちんと得ていないと、霊も正しく機能を発揮することができません。 大切なのは身体と精神と霊の調和です。 この三者が一体となって機能し、その結果として健康と幸福と冷静さと自信と決断力と安らぎが得られるのです。 霊的なことにばかり気を奪われて身体上のことをおろそかにすることは、身体のことにばかり気を奪われて霊的なことをなおざりにするのと同じく間違っています。 心の修養にばかりこだわって他の側面を忘れるのもまた間違っております。」 ③花を美しいと感じるのは、良い心の投影だと言いますが例えば、何故 美男美女にはそれが適用されないのか。 そもそも、何かを綺麗だと思うこと自体が中道から外れるらしいのですがこの考えに何か矛盾を感じます。 仏教の考えといってもその教えはキリスト教の聖書が後に改竄されてイエス本来の教えとはかけ離れた内容になっているのと同様に2500年の間に本来の仏陀の教えとはかけ離れたものになってしまっていると思われます。 きちんと体系的に仏教を学んだことはありませんが、「六道輪廻」の概念などは、キリスト教の原罪説の様に民衆を恐怖で支配するための手段だと思われます。 つまり“仏陀の考え”ではなく、まさに“仏教の考え”ということです。 「何かを綺麗だと思うこと自体が中道から外れる」というのはいかにもインド哲学的だと思います。 これがもし仏陀自身の言葉でないのであれば、仏陀の教えが“仏教化”する過程でそういった哲学的概念が導入されたのではないでしょうか。 悟りの境地に至るにはそういったことに影響を受けない心が必要だというのは分かりますが、スピリチュアリズムではその様な悟りは神の境地にまで至らなければならないようです。 高級霊と呼ばれるシルバーバーチでさえ時には残虐行為や許せない制度や強欲に対して怒りや憎しみを抱くことがあるし(ただし人を憎むことはありません。いわゆる罪を憎んで人を憎まずです)、それに伴ってあまり褒められない想念を抱くことがある未だきわめて人間味のある存在であり、誰に対しても絶対に人間的な感情を抱かないというところまでは進化していないと告白しています。 あのイエスでさえ神聖な場所を汚す人々を怒りに任せてムチを振るって追い出しました。 「美男美女にはそれが適用されない」というのがどの様な文脈によるのかが分からないのですが、美しいと思うこと自体は自然な感情であり、感情は自然の摂理、即ち自然法則そのものである神が人間に与えた心ですから、否定すべきものではないと思います。 ④引き寄せにとって思考は邪魔だというのを聞いたような気がするのですが、私の信頼する人々の本では理性の重要性を語っていることが多いです(その人達も引き寄せはあると言っています。) あまり考えないで生きた方が良いのでしょうか。 いえクリティカルな思考とそれを支える思考技術としてのメディア・リテラシー、サイエンス・リテラシーはこの世の中で最も大切な思考です。 引き寄せとは思考の現実化であり、常に引き寄せたい対象を具体的、リアルにイメージする事が大切です。 その邪魔な「思考」とはおそらく「欠落思考」のことでしょう。 つまりそうはいっても現実は…という引き寄せたいことに対する現実的思考のことです。 欠落している現実を見つめ続けるということは欠落という現実を引き寄せていることになります。 すなわち欠落した現状を固定化させてしまうことで、引き寄せを妨げることになるのです。 引き寄せが上手くいかないと言う人のほとんどがこの欠落思考に陥っています。 ※欠落思考の実例 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1187670921 ⑤神聖な神社よりも、太陽の眩しいビーチなどの方が元気が出てパワーがある気がするのですが、どう思われますか? 実は神社だから神聖な神が宿っているとは限らないのです。 良くない気を感じる神社にはおそらくその様な存在が住み着いているということでしょう。 また霊的に高い波動のエネルギーはしばしば眩しい光として表現され、高級霊界は光に満ち溢れているといわれています。 おそらく地上の太陽光にもその性質があるのでしょう。 ※スピリチュアリズム概論:波動(波長)の項参照 http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n122673 「全ての次元を一つの宇宙として見たとき、スピリチュアリズムにおける波動も我々の世界の物理的波動も同じ事象の別の呼び名に過ぎないのである。」 この様に太陽光線(可視光線=電磁波)もその波長(波動)という性質によって霊的エネルギーと同一の線上で繋がっています。

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